三国志演義でもっとも盛り上がりを見せるのはどこでしょうか?
色々な場面がありますが、個人的にはやはり赤壁の戦いではないかと思います。
強大な敵である曹操に対して戦う孫権&劉備同盟、呉水軍の活躍、七星壇での諸葛亮の祈祷からの逆転劇……一つ一つのドラマの密度が大きいですよね。
しかしこれらは全て三国志演義の創作?ということで、もう一度赤壁の戦いを振り返ってみたいと思います。
この記事の目次
大まか(すぎる)赤壁の戦いの流れ
まずは三国志演義の赤壁の戦いの流れをとっても大まかにおさらいしましょう。
曹操の船団が攻めてくる!降伏か交戦かで呉でも揉める!
孫権戦いを決意!劉備とも同盟!周瑜と諸葛亮の頭脳戦!
計略計略計略!止めに七星壇からの東南の風!火計で曹操敗北!
……勢いでまとめましたが、まあだいたいこんな感じですね!
赤壁の戦いでの最大の見どころ
赤壁の戦いでは様々な見どころがありますが、何と言っても最大の見どころは火計からの華々しい勝利です。しかし注目点はこの火計成功までの流れ。
火計で戦うと決めたものの曹操にとっての追い風しか吹かないため、このままでは火計は自分たちの陣を焼くことになる……そこで諸葛亮は七星壇という祭壇を築き、そこで祈祷して有名な東南の風を吹かせて曹操軍を火で打ち払うことに成功するのです。
七星壇のなぞ
と、ここで驚きなのは東南の風を諸葛亮が吹かせたということです。個人的に、ここが三国志演義の諸葛亮最大の妖術手品師ポイントだと思います。いや何で祈祷したら風が吹き始めるの……それは怪しすぎて周瑜だって警戒するわ……と思ってしまいますよね。
これについては近年のドラマや漫画、小説などでは「七星壇はあくまで見せかけ」「季節風が吹くことを諸葛亮は知っていてそれを利用した」ということが主流になってきたように思います。では次に正史三国志の方ではこの赤壁の戦いがどうなっているのか見ていきましょう。
正史三国志の赤壁の戦い
曹操の伝えには「疫病が流行ったから撤退した」。
周瑜伝では「曹操軍に疫病が流行っていたから攻撃して勝った。撤退したから黄蓋が火計と偽作で船を焼いた」。
劉備の伝えには「曹操を大いに破った。あと船を燃やした」。
孫権伝には「周瑜や程普が頑張った。あと劉備とも協力した。めっちゃ勝った!」。
因みに後漢書献帝紀には「曹操は水軍で孫権を討伐したが、烏林・赤壁で孫権の部将周瑜に敗れた」と記されています。
つまり何が言いたいかと言うと、赤壁の戦いは「良く分からない」のです。
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