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斉藤道三(利政)の逸話やエピソードからマムシの真の姿に迫る!

2020年7月31日


 

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斎藤道三

 

NHKの大河ドラマ『麒麟がくる』で、本木雅弘(もとき まさひろ
)
さんが演じて評判となった「斉藤道三(さいとう どうさん
)
(利政)」。「美濃(みのな)のマムシ」というあだ名や、織田信長(おだ のぶなが
)
の義父であることなどでよく知られていますよね。

 

その道三は、美濃の国主になるまでに、いくつもの下克上をしてきたとされています。今回は、道三の逸話やエピソードなどを検証しながら、真の姿に迫っていきたいと思います。

 

※(正しくは「斎藤」ですが、この記事では簡易体の「斉藤」で表記します。また、実際は「道三」という名前は晩年になってから名乗っておりますが、混乱をさけるため全て「道三」で統一しています)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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美濃の平定は親子2代で成し遂げた?

 

 

日本人の斉藤道三のイメージは、まず小説によって作られていきます。坂口安吾(さかぐち あんご
)
の『梟雄』や、司馬遼太郎(しば りょうたろう)の『国盗り物語』などがその代表例です。これらでは、道三は1代で僧侶→油売り→武士→守護大名となったとされています。

 

ですが、近年では、これは親子2代だったのではないかというのが有力になっています。NHKの大河ドラマ『国盗り物語』などで描かれたエピソードの半分ほどは、実はお父さんのものだったのではないかということですね。イメージ狂うなあ、と思わないでくださいね。今回は、その2代目の道三のみに注目しております。

 

長井家の実権を握る。

 

道三のお父さん(新左衛門尉(しんざえもんのじょう))は、長井弥二郎という人に見込まれて家来にしてもらいました。そして、長井という苗字を与えられるほどにまで出世します。また、そうなると長井家ではなく、さらに上役の斉藤家の家臣となりました。

 

その頃、新左衛門尉は亡くなったのか隠居したのか、道三が家督を継ぐことになります。ここからが、強烈です。道三は、1年後に長井家の当主であった長弘が死んだことを契機に長井家を乗っ取ってしまうのです。

 

長井長弘の死は暗殺だった?

 

この長井長弘の死には多くの説があります。道三が暗殺したのではないかというもの。また、当時の主君の斎藤利良や、守護の土岐頼芸(とき よりなり)に「長弘に謀反の疑いがある」と嘘を言って殺させたというものなど。とにかく、長弘に適当な跡取りがいなかったので(いないという口実で)、長井家を継ぐという形になったといわれています。ここからマムシ伝説の幕が開けます。

 

主君の土岐頼芸の復権を手助けし、妾を譲ってもらう

土岐頼芸

 

道三は、主君であった頼芸が美濃の守護となることに尽力し、信頼を得ます。そして、頼芸の妾であった深芳野を譲ってもらい側室にしたとされています。このときに、有名なのが「ふすまの虎の目を槍で突くという」エピソードです。頼芸にふすまの虎の目を、1回で槍で突けたら深芳野を自分の妻にさせて欲しいと願い出たというものですね。道三は、めちゃくちゃ練習していたので、本番も無事にできました。

 

斎藤義龍(麒麟がくる)

 

また、この深芳野が頼芸の子を既に身ごもっていて、それが長男の義龍であったという話がよく語られてきました。が、近年の研究ではこれは創作なのではないかと言われています!

 

斎藤義龍に討たれる斎藤道三

 

後に、義龍が道三を討ったということから、そのような縁があった方が面白いのではないかということで、このような話が作られたと考えられています。

 

明智光秀(麒麟がくる)

 

『麒麟がくる』ではそのあたりを上手く描いていましたよね。誰もが、義龍は道三の子であることを知っていながら、頼芸の子であるという噂によって仲を裂こうとする。一般的な通説と、最近の研究をミックスしてかなり苦労して作られたように感じました。

【次のページに続きます】

 

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しばがき

sibagaki

ライター自己紹介: 歴史はやっぱり戦争・動乱期に惹かれてしまいます。平和主義者なのに。。。 好きな歴史人物: カエサル(シーザー) 何か一言: 戦国最強は武田信玄。

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