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この記事の目次
劉備を警戒した?
文武に優れ、孫堅、孫策、孫権だけでなく、曹操や劉備からも警戒された周瑜。曹操からは孫権との間を割こうと使者を送られたこともありますが、逆に孫権への忠義を広く知らしめることとなりました。
そんな周瑜は劉備を「梟雄」として危険人物認定していたと言われています。周瑜は劉備を呉で贅沢に溺れさせようと孫権に提案するも、孫権はこれを却下したために実現することはありませんでした。
イメージとの齟齬
ただこの周瑜の計略、三国志演義で見て見るといきなりすぎてちょっと不可解に思えてしまうんですね。これは三国志演義では劉備は徳人、行き過ぎるほどのお人好しということが強調されているからだと思っています。皆さんは三国志演義を読んでいて時に、劉備のお人好しに「イラッ」としてしまうことがありませんでしたか?
こういった善性の強調は、結果的に実際より能力が劣って見えてしまうことがあります。このため「なんで周瑜はこんなすごいのに劉備警戒するの?」という疑問点が生まれてしまったのだと思うのです。
劉備の「やばさ」を嗅ぎ分けた劉備
ここ孫呉に訪れるまでに劉備が関わってきたのは陶謙、袁紹、劉表……そうです、みんな滅んでいます。それ全てが劉備のせいということはありませんが、誰かが滅ぶということはその滅んだものを手に入れられるということ。
言ってしまえば劉備は抜群の嗅覚で「それ」を嗅ぎ分けて乱世を生き抜いてきたということです。そして周瑜はそんな劉備を見抜いていた、だからこそ警戒した。これは史書である正史三国志を読み、起こった出来事を読み解いていってこそ伝わるもの。
劉備はこの時点で周瑜が警戒するべき人物ということは、正史を読んでこそ伝わってくるものだと思います。読みづらいと言われる正史三国志ですがこのように三国志演義のフィルターを取っ払って読めるという利点がありますので、ぜひ一度読んでみて下さい。武将たちの意外な一面が見えてくると思いますよ。
三国志ライター センのひとりごと
筆者は当初、三国志演義を読んで「何でこのイケメンさんこんなに劉備を警戒するんだろう、嫌がらせかな」と思った記憶があります。ただし正史の劉備の行動を見ていると、そのヤバさをしっかりと判断している周瑜の行動は的を射ているものなんですよね。
それを考えるとこの時に孫権はまだまだ若輩なんだなぁ、と思うと同時に、正史三国志を読んでこそ分かる面白さもあると思うのです。中々読みにくいとは思いますが、ぜひ正史三国志を読んでみて三国志演義と照らし合わせて見て下さいね。
参考文献:呉書周瑜伝
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