今日のkawauso11「曹操は毒矢で死んだ?」

 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし内容に納得がいかないkawauso様

 

曹操の死去した場所については、色々な説があって面白い正史三国志の公式見解では、洛陽で死んだ事になっているけど、諸葛亮が書いた正議では、漢中争奪戦から帰還する途中に毒矢に当たり死んだとされている。

 

ただ、諸葛亮の正議は、以前記事でも指摘したように、項羽が煮殺(にころ)されたと書いていたりして、事実よりも悪党の末路はこうだぞ!という強力なメッセージ性があるので嘘かも知れない。

そうなの?諸葛亮はいい加減に歴史を覚えていた

 

でも、面白いのが曹操オタクだった陸遜(りくそん)の孫、陸機(りくき)弔魏武帝文(ちょうぎぶていぶん)で、この中で陸機は、曹操は漢中を攻めている途中で病気になり、長安を越えた所で重病、洛陽についた頃には息絶えたとある。

 

確かに曹操は洛陽で死んではいるが、長安で重病になった人が洛陽まで持つだろうか?

長安と洛陽は距離にして400キロくらいあった筈、、当時の馬車の速度で、おいそれと到着するとは思えない。

 

すると、正議の諸葛亮の言葉も調子のよいホラとも言えなくなる。

曹操が洛陽で死んだ時、太子の曹丕(そうひ)(ぎょう)にいて、すごいバタバタしているのが文帝紀からは見えるけど、始皇帝のように死を誤魔化していて、洛陽に着いたのは曹操の骸で、本当は長安あたりで死んでいたのでは?

 

だから長安を守備していた曹彰(そうひょう)が、のこのこやって来て賈逵(かき)に王の印綬はどこだ?みたいに詰め寄ったのでは?

みたいに色々疑えてしまう・・

みんなはどう思います?

 

前回記事:今日のkawauso10「沈没した曹操の船」

 

北伐の真実に迫る

北伐

 

 

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