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今日のkawauso11「曹操は毒矢で死んだ?」

2020年8月13日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし内容に納得がいかないkawauso様

 

曹操の死去した場所については、色々な説があって面白い正史三国志の公式見解では、洛陽で死んだ事になっているけど、諸葛亮が書いた正議では、漢中争奪戦から帰還する途中に毒矢に当たり死んだとされている。

 

ただ、諸葛亮の正議は、以前記事でも指摘したように、項羽が煮殺(にころ)されたと書いていたりして、事実よりも悪党の末路はこうだぞ!という強力なメッセージ性があるので嘘かも知れない。

そうなの?諸葛亮はいい加減に歴史を覚えていた

      諸葛孔明(しょかつこうめい)と言えば、謹厳実直(きんげんじっちょく)の権化であり、自他ともに厳しい仕事人間というイメージが先行しているのではないかと思います。 ...

 

でも、面白いのが曹操オタクだった陸遜(りくそん)の孫、陸機(りくき)弔魏武帝文(ちょうぎぶていぶん)で、この中で陸機は、曹操は漢中を攻めている途中で病気になり、長安を越えた所で重病、洛陽についた頃には息絶えたとある。

 

確かに曹操は洛陽で死んではいるが、長安で重病になった人が洛陽まで持つだろうか?

長安と洛陽は距離にして400キロくらいあった筈、、当時の馬車の速度で、おいそれと到着するとは思えない。

 

すると、正議の諸葛亮の言葉も調子のよいホラとも言えなくなる。

曹操が洛陽で死んだ時、太子の曹丕(そうひ)(ぎょう)にいて、すごいバタバタしているのが文帝紀からは見えるけど、始皇帝のように死を誤魔化していて、洛陽に着いたのは曹操の骸で、本当は長安あたりで死んでいたのでは?

 

だから長安を守備していた曹彰(そうひょう)が、のこのこやって来て賈逵(かき)に王の印綬はどこだ?みたいに詰め寄ったのでは?

みたいに色々疑えてしまう・・

みんなはどう思います?

 

前回記事:今日のkawauso10「沈没した曹操の船」

 

北伐の真実に迫る

北伐

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-kawauso編集長ぼやき