三国志演義では、蜀に攻めて来た鍾会が定軍山を通過した辺りで、諸葛亮の霊力に脅され、自ら諸葛亮の墓参りに向かい、その霊を鎮めるという話がある。
いかにも、魏を悪者にしたい三国志演義の創作に見えるけど、実は、この話は全くの創作ではない。
正史三国志でも鍾会は、西方の陽安口という所を通りかかると、人を派遣して諸葛亮の墓の祭祀を行わせた記録がある。
なかなか、戦争中に敵陣に属する人物の墓の祭祀はしないように思うが、こういう杓子定規な所が鍾会の鍾会足る所のように感じる。
それとも、鍾会なりに諸葛亮に敬意を抱くような何かがあったのだろうか?