三国志の時代、まだまだ紙は貴重で文書としては木簡、竹簡と半々ぐらいだった。
この木簡は、幾つかの長方形の板を紐で繋いで出来ていたので木簡をバラバラにして、別々に繋ぎ合わせると、文字は同じなのに全然別の意味になったりする。
三国志の時代に、この木簡と漢文の特性を使った計略があった。
曹叡の時代に散騎常侍、中書令だった劉放は青龍年間に、たまたま国境の警備兵が入手した孫権から諸葛亮への木簡を手に入れた。
この頃、諸葛亮と孫権は緊密で、よく結託して魏に攻め込んでいたから、劉放は二人の関係にくさびを打ち込もうと孫権の木簡の内容を改竄し、文字列をあれこれ入れ替え、孫権が魏の徳化になびこうと考えているかのように文面を変化させ、宛先を征東将軍の満寵にして再び封緘して諸葛亮に渡るようにした。
さすがに諸葛亮も驚き、すぐに早馬を出して文書を呉の大将の歩隲に手渡した。
歩隲が急いで手紙を孫権に渡すと、孫権は諸葛亮が疑いを持つだろうと考え、自分でねんごろに弁明して誤解を解いた。
※正史三国志 劉放伝
文字を偽造するのではなく、漢文の並びを変えて意味を変えてしまうとは、劉放はかなりの頭脳プレイヤーだと思う。
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【北伐の真実に迫る】