人が自由を失うとどうなるのか?という典型例が、正史三国志曹真伝に付属する曹爽伝が引く、魏末伝にある。
これは司馬懿にクーデターを起こされて抵抗せずに投降し、自宅に監禁された曹爽の有様を記した逸話だ。
曹爽兄弟が屋敷に帰ると、朝廷は洛陽県に命じて住民800名を徴発して
県尉の下に所属させ、曹爽の屋敷の四方を監視させ、四隅に高楼を建てて
その上に人を登らせて、曹爽兄弟を四六時中監視させた。
万策尽きた曹爽は、憂憤の余り、弾弓を取り出して後庭に飛び出すと
高楼に登った監視人は、すかさず
「元の大将軍は東南に向かいお出かけ」と大声で唱える始末だった。
曹爽は監視の激しさに耐えきれなくなり、弾弓(パチンコ)を持ち出し後庭に出て、
自分を監視する楼の上の監視員にパチンコ玉をぶつけてやろうと思ったからではないだろうか?
この異常な監視体制にもかかわらず曹爽は、司馬懿に許され天寿を全うできると信じていたというのだから呆れる。
しばらくすると曹爽はクーデターを計画した角で捕えられ皆殺しの目にあう
曹爽は自分がいかに自由を失い司馬懿の籠の鳥であったか、最後まで気づかないままだったのか?
それとも、自由のない状態に慣れてしまったのか?
桓範は、司馬懿が言うままに降伏を受け入れて、今後は金持ちの旦那程度にはなれると楽観する曹爽兄弟に
お前達は小牛同然だと罵ったが、ドナドナ宜しく己の命を司馬懿に預けた形になった。
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