宦官でありながら養子を取ることを許され、追号によって皇帝となった曹操の祖父、曹騰。そう、宦官で皇帝となり、曹操の祖父というすごいプロフィールの人物です!
とは言えそんな曹騰は三国志演義の方では出番はなく、三国志でもイマイチ良く分からない人物と言うのが正直な話でしょう。そんな曹騰について、今回は紹介したいと思います。
幼い頃から宦官の道へ
曹騰について、実はその家系ははっきりとしていません。分かっているのは幼い頃から宦官の道へと進んだこと。120年頃には宮廷に入り、後の順帝である皇太子の学友になりました。順帝は曹騰をとても気に入っていて、宦官の最高位である大長秋にまでなったといいます。
四代に仕える曹騰
そんな曹騰は順帝から四代の皇帝に仕え、30数年の間に一度も落ち度なく、有能な人材を引き立てて自らは慎ましい態度を崩さず仕え続けたといいます。一度誤解から弾劾を受けましたが皇帝の信頼は揺るがず、曹騰自身は弾劾した人物の公正さを称賛したと言われています。
そんな曹騰は桓帝の時代には隠居をし、桓帝の即位時に旧臣としての功績を褒められて費亭候に封じられました。
そして後229年、曹丕の時代に高皇帝と諡されます。追号ながら宦官で皇帝扱いという、かなり珍しい人物と言えるでしょう。
曹騰の家族
さて曹騰、生没年不詳なのですが字は分かっており、季興と言います。ここで少し考えたいのが曹騰には兄弟がいたのか、ということ。
武帝紀の注によると曹騰の兄に曹伯興、曹仲興、曹叔興という人物たちがいたようです。ただしこの三人については名前が伝わっておらず、字しか残っていません。また曹鼎という兄弟がいたようですが、こちらは兄か弟かはわかってはいません。昔の人間とは言え、はっきりしたことは分かっていないのは惜しい限りですね。
【次のページに続きます】