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字から分かる兄弟関係
ただ字から少しばかり推測することができます。中国の字では五兄弟は長男から「伯(孟・元・長)」「仲」「叔」「季」「幼(稚)」というように字が付けられることから、これに当てはめてみると曹騰は四男、もしかしたら曹鼎は五男だったのかもしれませんね。
まぁ曹騰は幼い頃から宦官の道へ進んでいるので、兄たちがいると考える方が普通でしょう。養子を取れたのも当時としては異例であり、順帝が許可を出さなければ本来は曹騰の家系はそこで終了するはずだったのですから。
曹騰と養子について
では曹騰と養子、曹操の父について。曹操の父である曹嵩は夏候氏からの養子とされ、霊帝の時代に曹嵩は大金を払って防衛大臣の位を買っています。
また曹操自身も董卓討伐の際に兵士を集めていますが、これらの莫大な資金はおそらく曹騰からの遺産であると思われます。そう考えると曹騰がかなりの地位を築いていたからこそ曹操自身もあるのだなぁ、と感慨深いですね。
曹騰の血縁関係
さて曹操にとって残されたのは資金だけではありません。曹操には曹仁や曹洪といった優秀な従兄弟たちがいますが、彼らは曹騰の血縁関係者たちです。
つまり曹操自身とは血の繋がりはない……と、思うのですが、曹操のルーツとも言える夏候氏は代々曹氏と婚姻関係を結んでいたというので、全くの他人ということもないのでしょう。しかし彼らのような優秀な人材あってこその曹操、資金だけでなくこれらの遺産こそが、曹操を曹操たらしめたのではないでしょうか。
徐州で分かる、曹操との絆
宦官という存在は、父母から頂いた体を傷つけ捨てる行為、家をそれ以上継げなくなる行為、そういう面もあって、宦官は儒教思想の強い時代では忌み嫌われる存在でした。この事は曹操の人生に置いて、深い影を落とします。
しかし曹操と袁紹との戦いで陳琳が曹操を宦官の家系と皮肉ったことを、後に曹操は「私だけならまだしもどうして祖父と父のことを悪く言った」と非難したように、おそらく祖父とも父親とも曹操は仲が良かったのでしょう。
それを思うと曹操の悪役を決定付けたとも言われる徐州の件は……何とも苦々しい事件であると、思わざるを得ませんね。
三国志ライター センのひとりごと
今回は曹操のルーツとも言える、曹騰について紹介させて頂きました。曹騰は後漢末期の人間と言えど、彼が養子を取ることを許可されたからこそ曹操という人物が後に生まれるのです。そう考えるとその存在もまた三国志に繋がる存在、と言えると思います。彼があったからこそ、三国志の英雄の一人である曹操が生まれた……そう思うと、何とも感慨深いですね。
参考文献:魏書武帝紀
後漢書 宦者列伝
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