三国志にはたくさんの武将たちが出てきますが、その中でもちょっとややこしいのが同名の別人がいること。今回ご紹介する李粛は、なんと中国史に同じ名前が四人も出てくる人物です。
特に三国志で李粛と言えば「呉の人かな?」と一番に想像されるかもしれませんが、今回の李粛は董卓に仕えて、呂布に仕えた方の李粛。こちらの李粛をご紹介したいと思います。
この記事の目次
李粛は呂布とはおさななじみ(過大解釈)だよ!
さてまずは正史の方の李粛からご紹介していきましょう。
李粛は董卓に仕えていた人物で五原郡出身であり、呂布とは同郷になる人物です。この「誰誰と同郷」は三国志にとってとても重要なフラグの一つですが、李粛はこの呂布と同郷ということで董卓からあることを頼まれます。
当時、董卓は丁原と不仲でした。しかしその配下である呂布は中々剛の者、できれば引き抜きたい……ということでその任務に抜擢されたのが李粛です。
同郷のよしみかもしかして結構仲が良かったのか、李粛は呂布の引き抜き、そして丁原の殺害を呂布にやらせることに成功しました。言わば最初の呂布の裏切りのキーマンと言えるでしょう。
そうして二度目
しかし呂布と董卓もその内に不仲に。この際に李粛もまた、董卓に不満を抱いていたようです。
そうして秘密裏に動き始めたのが王允らによる董卓暗殺計画。この計画に呂布と李粛は乗っかり、馬車に乗っていた董卓を急襲。李粛が刺し、二太刀目は呂布によって行われ、董卓の最期を迎えました。
何と呂布の二回目の裏切りにもこの李粛が絡んでいたんですね!
李粛、その最期
その後は呂布に仕えた李粛。ここまで運命を共にして来たのだから、その最期まできっと傍にいるのだろう……二人の友情は永遠……ということはなく、李粛はあっさりと192年に退場します。
それには董卓の娘婿である牛輔との戦いが原因。董卓の娘婿、つまり縁者を生かしては置けないと派遣された李粛。ここまで呂布の裏切りにしか関わってこなかった彼がどの程度の能力を持っていたかは分かりませんが、何とここで敗北してしまいます。
そしてその負け戦の責任として呂布に処刑されてしまうのでした。
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