皆さんは故事成語やことわざ、四字熟語などはお好きでしょうか。筆者は幼い頃にドラ〇もんのことわざ辞典を親に買って貰い、読み込んだ記憶があります。
こういう風に楽しく学べて覚えられるのは、勉強として理想ですよね。そこで今回は故事成語、それも三国志に出てくる故事成語についてお話したいと思います。
この記事の目次
故事成語と四字熟語の違いとは?
まず少し故事成語、そして四字熟語に関してお話を。
故事成語というのはその昔、中国で起こったできことから生まれた教訓です。とは言え古い出来事というだけではなく、現代においても故事成語は良く利用されていますね。
対して四字熟語は漢字四文字で構成された熟語です。これらは似ていますが、故事成語全てが四字熟語ではなく、四字熟語が全て故事成語ではありません。
有名な故事成語「背水之陣」
例えば、有名な故事成語として背水之陣があります。これは史記に出てくる故事成語ですが、この背水の陣は現代では「背水の陣」と書かれることがあります。
これは「背水の陣」という言葉が四字熟語ではない、と言われる理由で、「背水之陣」は四文字の漢字ですが、「背水の陣」になるとひらがなが入るので四字熟語ではなくなってしまうからです。
この辺は状況によって変化するので難しいですね。では故事成語と四字熟語について軽くおさらいしたところで、今回の故事成語を見ていきましょう。
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隴を得て蜀を望む
今回の故事成語は「隴を得て蜀を望む」。「隴」は土地の名前で、蜀は三国志に親しんだ皆さんであれば蜀の事だと良く分かりますね。
この故事成語の意味は「一つの目的が満たされると次の欲が出てくること」「人の欲は限りがない」などの意味で使われています。この故事成語は、光武帝によって生まれました。
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光武帝の言葉から生まれた隴を得て蜀を望む
光武帝は後漢時代を開きましたが、その間に最も光武帝に抵抗したのが隴の隗囂、そして蜀の公孫述でした。それは建武8年のこと、光武帝によって命を受けた岑彭が隴の隗囂を攻撃します。そこに援軍を送ったのが蜀の公孫述でした。
光武帝はこれらと戦うことを決め、洛陽に戻ってから岑彭に「隴を落としたらすぐに南に進んで蜀を平定するように」と勅書を出しました。そして、
「人間は満足することを知らないもんだ。私は隴を平定して更に蜀にまでいかなければならない」と零したと言います。このように、隴を得て蜀を望むとは、元々光武帝の言葉から生まれた故事成語ですが、この故事成語、三国志にも出てくるのです。
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