前漢の時代は王莽による皇位簒奪によって終焉を迎えます。しかしそんな漢王朝の復興を成し遂げた皇帝、その名は光武帝。
挙兵してから五年も経たずに皇帝となった光武帝、勇猛果敢で苛烈な性格をしており、部下たちも恐れていた……ということはありませんでした。今回は光武帝のかなりお茶目な性格が分かるエピソードをご紹介しましょう。
光武帝の血筋
まずはその立場から再確認。光武帝は景帝の七男で長沙王となった劉発の末裔です。とは言え皇族として裕福な生活は送れず、家は地方の貧乏貴族の一人だったようで。
幼い頃は引きこもり気味なのでそれをからかった人も少なからずいたとか。しかし王莽による皇位簒奪から各地の反乱、兄の蜂起に付いていくと「劉秀(本名)が行くなら」と付いていく者が多くいるなど、その優秀さの片鱗に気付く者は多くいたと思われます。
皇帝に至る
兄と共に寡兵で王莽の大軍を打ち破り、各地で名を挙げるも警戒され、新しく皇帝となったのは更皇帝。更皇帝によって兄が謀殺され自らも危険になるも、心中を隠し難を逃れる劉秀。彼は河北で名を挙げ、独立。
そして四回ほど部下に言われてから(恒例行事)皇帝となり、漢王朝の復興を成し遂げます。こうして世に名高い光武帝が生まれました。
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若かりし頃の夢
さて劉邦が若かりし頃、始皇帝の行列を見て
「男たるものああならなくちゃいけねぇなぁ」と言っていたのは有名ですが、光武帝もまた若かりし頃にその夢を語っていました。
「官を得るなら執金吾、妻を娶らば陰麗華」
現代風に意訳すると「職に付くなら警察長官(地方)、嫁にするなら陰麗華」という意味です。
後にこの夢を語った通りに美人の陰麗華を妻にし、この夢を語った以上の地位である皇帝となったのが流石光武帝、というべき存在ですね。
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光武帝の仰天エピソード
そんな光武帝の面白、仰天エピソードがあります。当時、都では暗殺者が横行し、危険でした。
当然ながら皇帝という位置になった光武帝から見ても大変危険です。しかし光武帝はこれを気にせず、軽装で遊びに出かけ、帰りが遅くなることはザラでした。
当たり前のことですが部下が諫めますが、光武帝は聞きゃあしません。余りにも聞かない光武帝に部下の方がキレました。
部下は光武帝を締め出したのです。おうちに帰れない光武帝は仕方なくその日は野宿しました。
おうちに帰れない光武帝は仕方なくその日は野宿しました(二回目)
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