関羽はどうして人気になったの?どんなところが魅力?

2021年2月5日


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関羽の魅力(1P目)

 



監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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日本における三国志の普及と関羽人気

西遊記巻物 書物_書類

 

日本に三国志が入ってきたのは奈良時代ではないかと言われています。これは同時期に編纂されたとされる古事記が正史・三国志と同じ紀伝体(きでんたい)で記載されているためです。ただ、読み物として難解なこの書物は、一部の識者の間で読まれた程度で民間には広まっていません。

 

にぎわう市(楽市・楽座)

 

ではいつ広まったのかというと、おそらく江戸末期。元禄(げんろく)(1688-1704年)初期に三国志演義を忠実に翻訳した「通俗三国志」が刊行されていますが、それよりも後期の寺子屋が増え識字率が向上した江戸末期に広まったと考えられます。

 

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三国志ライターTKの独り言

TKさん(三国志ライター)

 

また、江戸時代は儒仏分離によって儒教が一つの学問として形成されていますし、儒教の派生である朱子学(しゅしがく)が幕府の正統な学問となっています。朱子学では主に主君は絶対という上下関係を強く主張しているので、君主に忠誠を誓う忠義の士・関羽が当時の思想とうまくマッチしたはずです。

 

近藤勇と関羽

 

新選組の局長・近藤勇(こんどういさみ)がそうだったように関羽推しは少なくなかったと思います。その後も1871年に横浜に初代の関帝廟が建てられているので、財神としての信仰の始まりが近代における人気へと繋がったのではないでしょうか。

 

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TK

TK

KOEIの「三國無双2」をきっかけに三国志にハマる。
それを機に社会科(主に歴史)の成績が向上。 もっと中国史を知ろうと中国語を学ぶために留学するが 後になって現代語と古語が違うことに気づく。


好きな歴史人物:
関羽、斎藤一、アレクサンドロス大王、鄭成功など

何か一言:
最近は正史をもとに当時の文化背景など多角的な面から 考察するのが面白いなと思ってます。 そういった記事で皆様に楽しんでもらえたら幸いです。

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