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この記事の目次
クーデターの失敗
王芬や許攸が立てた計画は、霊帝が故郷の河間郡に巡幸する為に洛陽を離れた隙に、合肥侯を擁立して洛陽を占拠するというものでした。
王芬等は、クーデターの兵力を得る為に霊帝に対し、黒山賊を討伐するので兵力を与えて下さいと上奏します。霊帝は許可を出し王芬等は朝廷の兵力を手中に収めました。
こうして、霊帝巡幸の行列は河間に向かうのですが、出発して間もなく赤い光が天を東西に分ける異常気象が起きます。
史官は「これは天下が真っ二つに割れるという凶事です」と霊帝に進言したので急遽、巡幸は中止になり、同時に黒山賊征伐も中止され、王芬は兵力を返さざるを得なくなります。
こうして、王芬には朝廷から出頭命令が出たので計画が露見したと知った王芬は自殺。許攸は追及を免れる為に、袁紹の下に身を寄せ、そのまま軍師となりました。
ちなみに皇帝が洛陽を留守にした間に洛陽を乗っ取るという手法は、司馬懿が曹爽を追い落とした高平陵の変と同じです。
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最後まで正体不明な合肥侯
もちろん擁立された合肥侯も処分されたでしょうが、どんな処分が下されたのか?
そもそも、合肥侯が誰だったかについては、記録が無く分からないそうです。そして、新しい合肥侯が立つ事もなくその後の合肥に侯が出現する事はありませんでした。これは、霊帝が事態を重く見て合肥侯そのものを置かなくなったのかも知れません。
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三国志ライターkawausoの独り言
未遂に終わったクーデターですが、その後クーデターに関与した許攸が逃げ込んだ袁紹は、袁術と共に宦官皆殺しにして、結果として王芬や陳逸、周旌の念願を叶える形になります。中常侍もなかなか執念深いですが、清流派官僚の復讐心もしぶといものですね。
参考文献:正史三国志
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