関羽は権謀術数に長けた謀略家?武力の強さは創作?




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関羽

 

三国志演義をベースにした物語では1位、2位を争う強さを持つ関羽(かんう)ですが、正史を紐解くとそれほど大きな戦功は挙げていません。また、演義では一騎打ちで数多くの武将を討ち取っていますが、正史では反乱や洪水などを巧みに利用して戦う智将という面が目立ちます。

 

顔良を討ち取る関羽

 

実際の関羽はそれほど強くなかったのでしょうか。今回は正史と演義における関羽の強さや得意としていた事柄について考察していきたいと思います。

 

正史三国志における関羽の強さ

ロボ関羽

 

演義では身長が9尺(216cm)という設定になっている関羽ですが、正史では身体的な特徴は記述がないので、おそらく体格などは普通だったのでしょう。

 

セクシーすぎる塩商人だった関羽

 

また、劉備(りゅうび)に従う前は一般人だったはずなので、戦闘の経験や身体的なアドバンテージのない人が戦いに強いというのもおかしな話です。

 

春秋左氏伝(書類)

 

そう考えると智将の路線に走るのも納得というもの。春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)を暗唱できるほど読書家でもあった関羽は、統率力や知力(応用力)を磨いていったのです。

 

劉備と曹操

 

そのため、劉備が曹操(そうそう)から徐州(じょしゅう)を奪った際には下邳(かひ)で太守業務を任せられ、普段の戦闘では別働隊を率いる機会が多くなりました。曹操が関羽を欲しがったのも、こうした万能な面に惚れ込んだからではないでしょうか。

 

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ゲリラ戦法が得意

劉備と呂布

 

劉備は益州を得るまで小さな勢力であり、兵力もそれほど多くない時期が続きました。呂布(りょふ)や曹操に徐州を攻められた際は毎回敗走していますが、これは奇策が用いにくい防衛戦だったためでしょう。

 

劉備の黒歴史

 

そんな劉備軍が生き残るために採った作戦が、伏兵などを使った奇襲作戦や周囲を扇動しての撹乱作戦。別働隊となった関羽の役割は劉備本体を支援するというものが大半です。

関羽と周倉

 

そしてこの経験は後年の関羽の戦い方にも反映されています。孫権(そんけん)荊州(けいしゅう)の領土問題で対峙した際の長沙や盧陵(ろりょう)での反乱扇動、樊城(はんじょう)を攻めた際に宛で謀反を起こした侯音(こうおん)と手を結ぶなど。

 

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関羽の謀略家な一面

青龍偃月刀を持つ関羽

 

関羽が用いた反乱の扇動ですが、それほど簡単に使える作戦ではなかったでしょう。謀反を起こす側からすれば失敗=死なので、いくら不満を抱えていたとしても安易に乗るわけにはいきません。

 

敗北し倒れている兵士達a(モブ)

 

侯音の反乱などはすぐに鎮圧されて殺されている点からもリスクが高かったことは明らかです。それをあちこちで実行できたということは、関羽が言葉巧みに相手を煽り、人心掌握(じんしんしょうあく)ができたからと考えられます。

 

関帝廟で関羽と一緒に祀られる周倉

 

関羽が死後に神様として祀られたのも、カルト宗教のようにその言葉に心酔した人たちが信仰を始めたのかもしれませんね。

 

賈詡

 

いずれにせよ、筆者がこの考察をしていて感じたのが「賈詡(かく)に似ている」ということ。

 

李カク(李傕)、張済、賈詡

 

賈詡は李傕(りかく)郭汜(かくし)を煽って長安の呂布と王允(おういん)を攻めさせていますし、犯意を見せた張繡(ちょうしゅう)に策を授けて曹操を窮地に追い込む、

 

馬超と韓遂

 

離間(りかん)の計を曹操に進言して馬超(ばちょう)韓遂(かんすい)の連合軍を切り崩すなど人の感情を煽って行動させるのが得意な印象があります。

 

はじめてのプロ野球 関羽

 

関羽は前線の指揮官でもあったという違いはありますが、権謀術数に長けていた点は似ていたのではないでしょうか。ただ、関羽は言葉一つで多くの人を従えられたためか、傲慢な性格となって身を滅ぼしていまうわけですが。

 

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三国志演義における関羽の強さ

赤兎馬を乗り回す関羽

 

ここで三国志演義の関羽の強さも振り返っておきましょう。演義では体格に恵まれている他、重さ八十二斤(18kg)の青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)を軽々と振り回すほどの腕力と赤兎馬(せきとば)を自在に操る馬術を兼ね備えています。

 

赤兎馬に乗った関羽に出会う周倉

 

この時点でかなりのチートキャラ。自分よりも体の大きい人が重い武器を振り回していたら普通は勝てません。逃げても赤兎馬で追いつかれますし。

 

暴れる関羽

 

そうした背景からか武将との勝負における勝率は非常に高く、虎牢関(ころうかん)では華雄(かゆう)をあっさりと斬り伏せ、官渡(かんと)の戦いでは顔良(がんりょう)文醜(ぶんしゅう)を、さらに曹操のもとを去る時に5つの関所と6人の将を破っています。

 

弓の名人・黄忠

 

そんな関羽とやりあって生き延びた老将黄忠(こうちゅう)は異常とも言えますが。関羽が対峙した相手の中で唯一身長が勝っているのが呂布ですが、筆者は純粋な一騎打ちであれば関羽にも勝機があったと考えます。

 

めちゃくちゃ強い呂布

 

むしろ230cm以上の長躯を持つ呂布に勝てる可能性があるとすれば、それに近い身長を持つ関羽だけだったのではないでしょうか。

桃園三兄弟 劉備、張飛、関羽 vs 呂布

 

劉備、張飛(ちょうひ)と3人で戦って決着がつかなかったのは、一対多という構図を作ったことが大きな失敗。複数人で戦う場合よほど上手に連携が取れていない限り、味方が邪魔になって攻撃がしづらくなります。

 

赤兎馬にまたがる呂布

 

利点としては翻弄して疲弊したスキを突けることですが、赤兎馬の脚力で簡単に包囲を脱出できてしまう呂布には適さなかったわけです。

 

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三国志ライターTKのひとりごと

TK(ライター)

 

関羽は若い頃に塩の密売に関わっていたという説がありますが、その際に警護の仕事をしていたと言われています。もしかすると用兵術や兵の統率は、若い頃の実経験から学んでいたのかもしれませんね。

 

関羽の降伏を説得しにいく張遼

 

ただ、少なくとも演義のような武力が異常に高い人物ではなかったというのが筆者の結論です。個人的にはチートキャラの関羽も悪くありませんが、リアルな人間味のある関羽も悪くないなと思います。

 

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