三国志演義の関羽といえば忠義心の厚さや青龍偃月刀、長身、ヒゲなど様々な特徴がありますが、その中で外せないのが赤ら顔。
京劇のメイクや関帝廟の関羽像なども大半が赤ら顔をしているのですが、普通に考えると変ですよね。赤ら顔は皮膚の炎症や発疹など不健康なイメージを与えますし、赤面=恥ずかしがり屋などあまり良い印象はありません。
そこで今回は関羽が赤ら顔設定になった意味と背景を民間伝承と合わせて紹介していきたいと思います。
この記事の目次
民間伝承その1:九天玄女の加護
蒲州太守・熊虎には熊祥という横暴な息子がいた。熊祥は張継昌の娘である鸞姣に恋をするがあっさりフラれる。そこで熊祥は借用書を偽造し、鸞姣が返済義務を果たしていないと訴えた。
賄賂を受け取っていた県令の苗信はこれを認め、鸞姣は借金の形として熊祥にさらわれてしまう。張継昌は苗信に訴え出るが門前払いにされ、周囲の人たちも太守を敵に回したくないので誰も手を貸さなかった。
そんな中、張継昌は若き日の関羽と知り合う。事情を知った関羽はすぐさま役所へ向かい苗信を殺害。続けて熊家へ乗り込んで熊虎、熊祥親子も手にかけ、鸞姣を救出した。
関羽はそのまま逃亡し、途中で九天玄女の廟に立ち寄って井戸水で顔を洗ったところ皮膚が真っ赤に染まった。人相が変わった関羽は追手から無事逃れることができた。
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民間伝承その2:ニワトリの血
義勇の士として知られていた関羽は若い頃に罪を犯してお尋ね者に。あちこちに身を隠しながら逃亡をする途中で一人の少女と出会う。事情を知った少女は関羽を家に匿い、床に伏すよう指示。少女はニワトリの首を刎ねて血を関羽の顔に塗り、さらに自身の髪を切ってその束を関羽のアゴに結んだ。
家宅捜索に訪れた追手は、床に伏した赤ら顔の関羽を見て奇病の患者と勘違いし、近づくことを躊躇。遠目から見ただけでは関羽と判断できず見逃してしまった。
事なきを得た関羽だったが、髪の毛はアゴにくっついてしまい、顔の血も落ちることはなかったので、以降は赤ら顔に髭を生やした人相のまま生きることになった。
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民間伝承その3:鼻血
逃亡生活をしていた関羽は河のほとりで一人の老婆と出会う。事情を知った老婆は関羽に自身の鼻を殴るよう言い、流れ出る鼻血で顔を赤く染めた。さらに関羽の髪を切ってアゴに当てるとたちまちアゴ髭に早変わり。
追手がやってきたが、全く違う人相となった関羽に気づくことはなく、そのまま無事に涿県へと逃亡を果たす。関羽の人相は元には戻らなかったが老婆には非常に感謝をした。この老婆は苦しみから人々を救済する観世音菩薩であり、関羽に悟りの道を授けたのだと言う。
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民間伝承その4:龍の生まれ変わり
解州にある塩湖のほとりには寺院があり、そこの和尚はたいそう将棋の好きな人物だった。ある時、体の大きな男が訪れるとすっかり意気投合し、男は一ヶ月以上も寺院に留まった。
日々将棋を指し続けた二人だったが、ある日和尚はたった1時間で3連敗を喫する。男が理由を尋ねると数ヶ月前からの日照りで民衆が飢え始めていると和尚は言う。男は自分が天空に住む龍で、天候を司っているが玉皇大帝の命令で雨を降らせることができず、悶々とした状態で外界へ下りたと経緯を告げた。
それを聞いた和尚は男に雨を降らせてほしいと懇願。男も断りきれず承諾すると、一つの頼み事をして寺院を去った。それから一帯には雨が降り、無事民衆は飢えを解消。
和尚は男の頼み事を実行するために湖へ行くと、湖から湧き出る赤い水を桶ですくい、それを保管した。それから108日後に赤い水から赤い体をした子供が誕生。これは命令に背いた罪で玉皇大帝によって斬首された龍の生まれ変わった姿で、湖から湧き出た赤い水は龍の血であった。生まれながらに赤い体を持ったこの子供は後に関羽と名付けられた。
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