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この記事の目次
中国の赤色崇拝
中国では昔から赤色崇拝があり、礼記の記述によれば古くは周王朝時代から赤は縁起がいい色として認知されていました。そもそも「赤」は人が火に近づいたという象形文字から生まれた文字で、赤色崇拝とは火を崇拝することが起源です。
現在でもお正月には赤い服を身につけたり、赤い色の飾りをつけるなどおめでたい色として使われています。そんな赤色は時代の変遷とともに「正義」「正統」「正直」を表すという考え方が広まっていきました。
関羽が赤ら顔設定になったのも「関羽=忠義」などの印象をわかりやすく体現するためだったと考えられます。
余談ですが、「紅巾の乱」や「義和団の乱」などで民衆が赤色を用いたケースがありますが、これはどの家庭にもある色であり、揃えやすかったからだそうです。
「黄巾の乱」では五行思想において火徳(赤色)を司る漢王朝を打倒し、次の土徳(黄色)を打ち立てるために黄色い頭巾を身につけたそうですが、一般家庭にある色ではないので、民衆の中には赤い頭巾を身に着けていた人もいたとか。
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関羽=赤色の起源
関羽=赤色というイメージがつき始めたのは北宋時代からと言われています。北宋から明代までの道教に関する情報をまとめた道法会元の中で、関羽が道教の守護神である四大元帥の一人に数えられ、その中で南門を守護している(陰陽五行説では南=赤色)ためです。
ただ、この四大元帥は道教の流派によってメンツが変わるので、この時点でイメージが固定化されたわけではないでしょう。
恐らく関羽の神格化が進む中で、忠義や財神(赤は財運を表す)という印象が強くなっていったので、三国志演義で赤ら顔、赤兎馬という特徴で体現。演義が広く普及したことで関羽と赤色が一般化されたのではないでしょうか。
今回紹介した民間伝承は演義の普及前後に出来た話で、関羽の神格化に整合性や正統性をもたせる意味合いがあったのではないかと筆者は考えます。
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三国志ライターTKのひとりごと
筆者は初めて関帝廟の関羽像を見た時に「なんで顔が赤いんだろう、ちょっとダサいな」と感じました。中国では黄色=皇帝の色と考えるなど独特な価値観があるので、日常的な色彩感覚だけでは見えてこない部分も中国史にはあるように思います。
なので、こうした色との関連性について調べてみることもおすすめです。
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