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この記事の目次
美しいのは頬髭
「髯」という字は本来、頬髭を指す言葉です。あえてこの字を使っているということはアゴ髭の長さもさることながら頬からキレイな髭が生えていたのでしょう。
頬髭は人によっては生えませんし、生えてもまばらになりやすい部位でもあるので、そこが美しいというのはかなり珍しかったはずです。
余談ですが、頬髭が凄い日本人に長岡外史という人物がいます。長岡の頬髭は最長70cmにも達したと言われていて、それを捻って真横の方向の位置で固定し飛行機のプロペラのような髭にデザインしていました。少しイメージは違うかもしれませんが、長岡に近い長さの頬髭が関羽にもあったのではないでしょうか。
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関羽の髭はかなり特殊
他にも髭を伸ばしていた人物はいたと思いますが、関羽が注目されるのにはワケがあります。
日本人を含むアジア人の多くは欧米人と比べて髭が薄く、生えたとしても硬い毛が外側にハネるように伸びていくパターンが多いです。そのため、短いうちはウニのトゲのようにツンツンとした仕上がりになりやすく、一定の長さを超えるとカールしてキレイには整いません。
反対に欧米人の髭は寝た状態で生えるので隙間が生じにくく、毛も柔らかいので形が整えやすいという違いがあります。どういった髭を美しいと表現したのかは不明ですが、もしかすると関羽の髭は欧米人のように柔らかい毛質だったのかもしれません。
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正史における関羽の髭
髭が長かったというのは演義における話で、正史ではそのような記述はありません。ただ、諸葛亮が関羽に当てた手紙の件は史実のようなので、特徴的な頬髭が生えていたのは間違いないでしょう。
髭を生やすという文化は儒教が元となっていますが、後漢は儒教の影響も大きかったので、中高年の男性は髭が当たり前です。その中に他の人とは違うキレイな頬髭が生えている人がいたら、注目されるのも無理からぬこと。
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三国志ライターTKのひとりごと
ちなみに中国最古の関羽像は今から1000年ほど前の北宋時代に作られたものが出土していますが、その関羽像には立派な髭が生えています。
そう考えると早い段階から関羽=髭というキャラ設定があったか、誇張ではなく本当に立派な髭の持ち主だったのかもしれません。ただ、戦闘の時に邪魔にならなかったのかという疑問が残るので、筆者的には長さが誇張で、キレイに生えていたというのが事実だったのではないかと考えています。
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