呉の武将「呂蒙」はなぜ人気がないの?その理由とは?

2021年4月1日

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kawauso編集長(石原 昌光)

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「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務めるほか、紙媒体やWebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者・おとぼけ(田畑 雄貴)

コンテンツ制作責任者

おとぼけ(田畑 雄貴)

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呂蒙を慰める孫権

 

呉の呂蒙(りょもう)と言えば関羽(かんう)を討った武将として有名ですね。そんな優秀な彼も「人気がない」と言われることがあるそうです。

 

それはなぜなのでしょうか?

呂蒙の人生と、その不人気を形成した小説「三国志演義」についても紹介していこうと思います。

 

小説「三国志演義」での呂蒙

関羽の呪いで殺される呂蒙

 

三国志演義では呂蒙は孫権(そんけん)の下に集まった武将の1人として初登場します。そして民衆を公正に扱う人間として描かれています。が、蜀の武将関羽を策略に嵌め討ち取ります。

 

京劇の関羽

 

三国志演義では蜀が主人公で特に関羽は主人公の劉備(りゅうび)を助ける重要なキャラですから人気もありました。

 

全身の穴から血を噴出して死亡する呂蒙

 

その為、関羽を討った呂蒙はその死に間際に「関羽の霊に取りつかれ、孫権を罵った挙句、全身から血を噴出して死んだ」というとんでもない最期になっています。

 

関羽の呪いで殺される呂蒙

 

人気者の関羽を討ちとってしまったことから呂蒙は完全なる悪役にされてしまったのです。ちなみに呂蒙と共に関羽を討った潘璋(はんしょう)も関羽の霊に取りつかれて死んでいます。

 

では実際の呂蒙はどのような人物だったのでしょうか?

 

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貧しい生まれで粗暴だった呂蒙

貧乏だった若き呂蒙

 

呂蒙の家はとても裕福とは言えない家庭でした。しかし、義理の兄が孫策軍の武将であり、彼の軍に勝手についていきます。

 

呂蒙

 

当然家族は激怒しますが、呂蒙は「貧しさから抜け出したい」という思いを語り、周囲を無理やり納得させています。

 

しかしその貧しい生まれと無学を馬鹿にするものが現れました。呂蒙はその発言に激怒し、なんと彼を斬り殺してしまいます。呂蒙は自首し、当時の呉のリーダー孫策(そんさく)の前に引き出されます。しかし、そこで孫策は呂蒙の才能を見抜き、家臣に採用したのです。

 

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数々の功績をあげる呂蒙

策略が得意な呂蒙

 

その後呂蒙は将軍として戦場で活躍することになります。劉表(りゅうひょう)の武将黄祖(こうそ)討伐、そして曹操(そうそう)との戦いで功績をあげていきました。

 

指揮を取る呂蒙

 

有名な「赤壁(せきへき)の戦い」でも従軍し、曹操を撃破しています。呂蒙は特に策略を得意とし、曹仁(そうじん)との戦いでは罠を用いて彼を敗走させることに成功しています。

 

三国志演義_書類

 

この「策略や調略が得意」という面も「三国志演義」での豪快な蜀武将の活躍を好む読者層には不評なのかもしれません。

 

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「呉下の阿蒙」

孫権から学問を身に着けろと言われる呂蒙

 

呂蒙は優秀な武将ではありましたが、学がありませんでした。その為主君の孫権に「職務の為にはもっと学問をしたほうがよい」と言われ、必死に勉学に励んだそうです。

 

そののち、学者も及ばないほどの実力になったとか。

 

勉強に励んで文字も読めて賢くなる呂蒙

 

ある日同僚の魯粛(ろしゅく)が呂蒙の元を訪ねました。魯粛は呂蒙に無学なイメージを持っていましたが、その博識に驚き「これでは呉の町にいたときのように“阿蒙(あもう)”とは言えないな!」と感激したそうです。

 

勉強する呂蒙

 

“阿蒙”の“阿”は「-ちゃん」という意味で「蒙ちゃん」と子供扱いした言い方です。このエピソードが「呉下(ごか)の阿蒙」という成語の成り立ちとなります。

 

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関羽を討つ

青龍偃月刀を持つ関羽

 

のちに呂蒙は荊州(けいしゅう)にて関羽と対峙することになります。呂蒙は関羽が魏を攻めている隙を突き、その城を落とそうと計画しました。しかし、関羽は呂蒙を警戒し、城に多くの守備兵を残しています。

 

行軍する兵士達b(モブ)

 

そこで呂蒙は病気のふりをしました。関羽は安心し、城の守備兵を魏攻めに向かわせたのです。そこを呂蒙は突き、城を陥落させました。その占領地で呂蒙は住民や関羽の配下を圧遇したため、彼らはあっさりと投降したのでした。

 

鄧禹と兵士

 

関羽があわてて城に戻ると、全ての将兵、民衆は圧遇されており、関羽の配下は戦意を喪失してしまいました。

 

関羽を捕縛する馬忠

 

また、関羽は同僚や部下を見下す癖があり、一部で恨みを買っていました。その為、ある部下にあっさりと裏切られ、関羽は捕えられたのです。

 

正史三国志 vs 三国志演義で揉める現代人

 

このあたりのエピソードを膨らませ「三国志演義」は呂蒙を「正々堂々戦わず、策を練る卑怯者」というイメージにしたため、呂蒙の人気があまりないと考えられますね。

 

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「三国志演義」とはまったく違う最期

杯を投げつけ孫権を睨めつけ罵る呂蒙

 

前述のように「三国志演義」では呂蒙は悪役の為、悲惨な最期を迎えます。関羽の霊に憑りつかれ、全身の穴という穴から血を噴出して死んでしまうのです。

 

関羽の死

 

その死亡した時期が関羽を倒した直ぐあとだったため、このような描写になったのかもしれませんね。

 

呂蒙が病気になり心配で仕方ない孫権

 

実際は関羽との戦いの最中には呂蒙は病になっていました。孫権は彼の病を心配し、孫権自身が病床に付き添っていたほどでした。

 

穴から呂蒙を覗く孫権

 

しかし残念ながら43歳の若さで亡くなってしまいました。呂蒙が亡くなると孫権は音楽を禁じ、食事も粗末な物にして喪に服したといいます。

 

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三国志ライターみうらの独り言

みうらひろし(提供)

 

「三国志演義」は小説なので盛り上げるために呂蒙は仕方がなく悪役にされた、という感じですね。その為にちょっと人気が低いのは残念という気がしますね。

 

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呉の武将

 

 

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みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

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