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この記事の目次
為政者にとっての関羽の魅力
関羽は時代を経るごとに神格化されていきますが、民衆からの厚い信仰心に魅力を感じたのが中国の各王朝の歴代皇帝たちです。民衆から支持のあった関羽を祀ることで、戦勝祈願や民衆統治に活用していました。特にその中でも上手く関羽信仰を利用したのがヌルハチを始めとする女真族の為政者たち。
女真族はもともとシャーマニズムという原始から存在する宗教を信仰していましたが、後金を建国したヌルハチは宗教改革を行って儒教や仏教、道教などを取り入れ、さらに関羽信仰も広めていきました。
三国志演義は女真族の間でも知られていましたし、漢民族と同様に関羽は忠義の士として敬愛されていたので、関羽信仰を基本とすることで漢民族との宗教的、文化的な軋轢を解消する目的があったと考えられます。さらにヌルハチは三国志演義に登場する関羽と顔の特徴が似ていたとされていて、関羽と自身を重ねていたという説もあります。
二代皇帝のホンタイジや三代皇帝の摂政となったドルゴンらもヌルハチと関羽を同列として扱い、後にヌルハチは赤面の関羽と対比して「白面の関公」と呼ばれるようになりました。
いずれにしても関羽信仰は多民族を統治する上で有効だったということにほかなりません。
三国志ライターTKのひとりごと
歴史を見れば死後に評価された人物は少なくありませんが、どちらかといえば芸術家や研究者に多く、自身の作品や研究結果などが後世まで残ったことが大きく関係しています。
それに対して劉備の魅力とは当時の人には受け入れられても後世に残る類のものではありません。三国志演義や説話などの物語で主人公格として取り上げられたことが現代でも人気を博している理由でしょう。
しかし、関羽の場合は能力値の高さや忠義を貫いた生き方、非業の最期といった面が魅力となって民衆に受け入れられ、そこから発生した信仰もまた為政者にとって見逃せない新しい魅力となったのです。勝負する土俵が違うという意見もあると思いますが、筆者としては関羽の魅力は劉備のそれ以上であったと考えます。
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