三国志において魅力の高い人物の筆頭といえば劉備。
袁紹のように名門だったわけでもなく、曹操のように熱心に人材登用をしたわけでもありません。
また、孫権のように父や兄から勢力を引き継いだということもなく、むしろ何もないところから叩き上げで台頭したのが劉備勢。
長らく弱小勢力で拠って立つ地さえも定まらなかったのに、劉備のもとには多くの文武官が集まりました。これは劉備が人を惹きつける何かを持っていたことにほかなりません。
ですが、右腕とも言える存在の関羽もまた劉備に負けず劣らずの魅力を持っていたと言えます。
なぜなら関羽は曹操が恋をしたかのように惹かれた人材ですし、後に清を建国する女真族ら非漢民族にも敬愛されていたからです。今回はそんな関羽の魅力について紹介していこうと思います。
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この記事の目次
劉備の魅力はフレンドリーさ
劉備の魅力を語る上で欠かせないのが中国独自の友人システム。友達を中国語で書くと「朋友」となるのですが、「朋」には対等な間柄、結託するといった意味合いがあり、中国で言う友人は一蓮托生の関係を指します。
日本では友達には遠慮や気遣いをするものですが、中国ではそれがなく、頼り頼られて然るべきという間柄です。しかし、誰でも彼でも友達になれるわけではありません。例外はあれど、一般的には名声や後ろ盾がある、思想や目的が同じであるなど利害関係が一致しなければ友人関係になれないのが当たり前。
そんな中で劉備はどんな人とも寝床をともにしたと言われるほど別け隔てなく人と接しました。時代や社会的な風俗にとらわれない「粋な」フレンドリーさが劉備の最大の魅力と言えるでしょう。
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曹操にとっての関羽の魅力
劉備とは対照的に関羽は剛情な面が目立ちます。例えば黄忠と同列にされることを嫌ったり、孫権からの縁談の申し出を最悪の形で決裂させるなどプライドが先行してうまく人と関係を結ぶことができないタイプです。
つまり、劉備のように多くの人を魅了するような系統の魅力は持ち合わせていなかったということになります。ではなぜ曹操が関羽に執着をしたのかというと単純に能力値の高さでしょう。
程昱や郭嘉からは兵1万に匹敵すると言われていますし、劉曄は蜀で名将と呼べるのは関羽1人と言っています。実際に劉備も関羽を独立遊軍として裁量を与えることで乱世を渡り歩いてきました。
また、曹操は人の扱いが上手かったので、関羽のように万能な人物を扱ってみたかったのかもしれません。
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民衆にとっての関羽の魅力
関羽の面白いところは死後に多くの人を惹きつけている点です。関羽がどのようにして信仰されたのか詳細はわかっていませんが、少なくとも関羽が古くから祀られていたことは間違いありません。
最古の関帝廟は隋の時代に建てられたというので、死後まもなく関羽を祀り始めた可能性もあります。しかし、関羽は一介の武将に過ぎません。子孫以外の人が皇帝でもない人物を祀ること、それが後世まで続いているところに関羽の魅力があります。
その魅力を具体的に表現すると「生き様」と「死に様」です。関羽は非業の死を遂げていることと生前の強さから当初は鬼神として考えられていました。
中国では古くから鬼神を祀ることで厄払いをしていたのですが、関羽も同じように祀られていた可能性が高いです。
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