劉邦の腹心であり、功臣であり、稀代の人物でもあった張良。彼の名は時代を越えて尚、漢の時代が終焉しても尚褪せることはありませんでした。
今回はそんな張良の紹介を軽くしつつ「曹操にとっての」張良もご紹介していきたいと思います。
張良という名の復讐者
張良、字は子房。彼は元々韓の人物であり、彼の家はその韓で代々宰相を務めた家柄でした。
しかしこの韓は滅ぼされます。そう、秦の始皇帝に。
韓の滅亡時にはまだ若く、官職には就いていなかった張良ですが、国を滅ぼした秦、そして始皇帝への恨み、憎しみは強く、復讐を誓います。
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始皇帝暗殺失敗
張良は全財産を使い、刺客を探して雇いだします。そして準備が整った張良は始皇帝の暗殺に動くのですが……残念と言うべきか、この暗殺自体は失敗。
始皇帝を暗殺して祖国を滅ぼした恨みを晴らすことはできず、そればかりか張良自身が天下のお尋ね者となってしまいます。
こうして張良は一時は名を変え、逃亡生活をおくることになりました。
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張良、劉邦と出会う
やがて時は流れ、暗殺に失敗した始皇帝も不老不死となることのないまま、崩御します。この死によって天下は乱れ、反秦の者たちが決起し始めます。
この際に張良は楚の地で立った景駒の元に行こうとしていました。その途中で出会ったのが劉邦です。劉邦は張良を厚く持て成し、その兵法を良く聞き入れました。
この出会いは正に運命的なもの、張良はこれから、劉邦の元に身を寄せ、良く補佐し、天下を取らせるに至ったのです。
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「子房」の意味
劉邦はやや振る舞いが傲慢であり、部下に対してもその片鱗を覗かせることがままあります。しかしそんな劉邦であっても張良は「子房」と字で呼び、敬意を払っていたことが伺えるのが特徴です。
張良は蕭何、韓信と共に劉邦の三傑と言われますが、彼らを評価する際に劉邦は張良を字で呼び、他の二人は名前で呼んでいます。
劉邦から敬意を払われつつも、その妻・呂后からも深く信頼され、数々の功臣たちが疑われる中でも張良は主に疑惑を持たせることはありませんでした。
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「師」という存在
そんな張良の振る舞いは、古の存在、太公望に倣ったものとも言われています。太公望は君主のために策略を巡らし、いくつもの補佐を行う役でありながら、君主からも尊敬される「師」です。
劉邦からも敬意を払われる存在である張良は、正に君主の師というべき存在だったのでしょう。張良はある意味で劉邦に並ぶ、ただし君主への敬意と尽力を忘れない、そんな存在であったと思われます。
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