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曹操の「子房」
さてそんな張良、三国時代にもまだまだ影響してきます。曹操には数々の部下がいましたが、その中でもひと際輝く、荀彧という存在があります。荀彧は曹操を良く補佐し、戦争時、平時の政治において、良く助けました。
そんな彼は王を佐ける才能の持ち主ということで「王佐の才」と呼ばれましたが、彼の主である曹操は荀彧のことを「我が子房」とも称しました。もちろんこの子房とは、劉邦の呼んだ子房、張良のことです。
後々に荀彧は曹操から用済みとされて服毒死したとも言われ、その最期は張良とは違ったものではありますが、荀彧は間違いなく、子房と称される人物であったのです。
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裴松之先生「誠に遺憾」
さてそんな荀彧ですが、魏書においては荀彧荀攸賈ク伝ということで、荀攸、賈クと一緒にまとめられています。これに怒りに怒っているのが賈ク嫌いで有名な裴松之先生、「賈クを荀彧、荀攸と並べるな!(意訳)」と鼻息荒く批判しています。
ただこの荀彧、荀攸賈ク伝では最後に評として、「荀彧は王佐の才を持っていた」「荀攸と賈クはその策は無駄がなく、張良、陳平のようである」となっており、荀攸と賈クはその策略を張良と、そして曹操に「我が子房(張良)」と呼ばれた荀彧も並べてのことと思われます。
そう考えてみるとこの巻のテーマは「張良」なのです。陳寿先生もやはり良くまとめているなぁ、なんて思ったとある日の午後でした。
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三国志ライター センのひとりごと
今回はちょっと古の軍師張良、そして荀彧について、その荀彧がまとめられている伝についてお話してみました。漢王朝は一度滅んで復興し、そして三国時代に完全に滅ぶのですが、その漢王朝を作り上げた英雄たちの存在は感じることができます。
時を超える英雄たち、それは三国時代にもまた言えること。こういうことを見つける度にますます三国志沼にハマり込んでいく筆者なのでした……どぼん!
参考文献:魏書「荀彧荀攸賈ク伝」 史記卷五十五 留侯世家
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