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この記事の目次
孫堅に追撃され華雄はさらし首に
強行軍の果てに、二度も全力で走らされた軍勢がどうなるのか?
はい、案の定、翌朝になっても胡軫の軍勢は疲労が抜けず動きが取れませんでした。昨日から、胡軫軍のおかしな動きを見ていた孫堅はチャンス到来と自軍に出撃を命じます。疲れ果てた胡軫軍に孫堅を迎撃する力はありません。
おそらく呂布は、孫堅が来たと知ると胡軫の軍勢を置いて自軍だけ一目散に逃げたのでしょう。その中で、華雄は総大将の胡軫を逃がす為か、別の理由があったのか逃げ遅れ、孫堅軍に捕らえられてしまいます。
かくして華雄は、みせしめとして孫堅に斬首された上に首を晒しものにされました。アホで傲慢な上司の胡軫と呂布の計略に挟まれ、右往左往しているうち最期を迎えたのです。
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三国志演義でリベンジを果たす華雄
ほとんど武勇を発揮できないまま散った華雄。しかし、そんな華雄を不憫に思ったのが三国志演義のライター達でした。華雄が陽人の戦いで死ぬ運命は変えられないが、せめて名前通りに華やかに活躍させてやろう。
こういう意図で華雄は、三国志演義では関西人で身の丈九尺の豪傑としてリメイクされ汜水関の戦いでは守将として正史では上司だった胡軫を副官にして反董卓連合軍の孫堅を迎え撃ちます。
正史の意趣返しで副官胡軫は、孫堅軍の程普に討ち取られるものの、その後は正史で孫堅にさらし首にされた鬱憤を晴らすように、孫堅の身代わりに赤い頭巾を被って逃げる祖茂を追いつめ逆襲してきたところを一刀両断!
さらに汜水関で袁術軍の兪渉、韓馥軍の潘鳳と名だたる武将を次々と討ち取って、反董卓連合軍の面々を青ざめさせる活躍を見せました。
しかし陽人で死んだという史実は超える事が出来ず、その後、当時無名の劉備の義弟、関羽に、熱燗の酒が完全に冷めない間という僅かな時間で殺害されます。
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三国志ライターkawausoの独り言
いかに演義で活躍するとはいえ、華雄の活躍は、その華雄を秒殺する関羽の為に存在するのであり、いわゆる咬ませ犬の部類ではあります。
しかし、孫堅の身代わりとして祖茂を討ち取らせたり、胡軫を部下にして程普に討ち取らせるなど、三国志演義のライター陣が華雄に同情し、華雄の境遇を書き換えた様子は随所に見られ、決して悪意から華雄を咬ませ犬にしたわけではないとkawausoは思いました。
参考文献:正史三国志 孫堅伝
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