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関羽は馬超を敵視したのではなく利用した?関羽の荊州統治と北伐戦略

2021年5月10日


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関羽の荊州統治(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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諸葛亮の異民族融和政策

強くなる関羽

 

関羽を評価するという形で救いの手を差し伸べた諸葛亮ですが、もともと劉備に天下三分の計を授けた際に「西は諸戎と和をなし、南は夷越を慰撫し」と言っています。

 

馬超と羊

 

諸葛亮の戦略の中には最初から異民族と協力し合うことが前提としてあったわけです。馬超の降伏は諸葛亮も予期していなかったかもしれませんが、これを上手く利用し、関羽を褒めることで荊州南部の越賊を牽制した可能性があります。

 

五虎大将軍の関羽

 

実際に記録がないので詳細はわかりませんが、もしかすると関羽の名声に恐れをなして荊州南部の越賊は手が出せなかったのかもしれません。ある意味、関羽の名声を高める手紙を送ったことは、遠方にいる諸葛亮から関羽に対する最大限の支援だったとも言えるのではないでしょうか。

 

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三国志ライターTKのひとりごと

TKさん(三国志ライター)

 

劉備が漢中王となった際に、関羽は馬超や黄忠(こうちゅう)と同列にされることを嫌っていますが、これは馬超と同じ位になることでせっかく上げてもらった諸葛亮からの評価が落ちてしまうことを懸念したのかもしれません。

 

あくまでも関羽の荊州統治と北伐戦略は馬超より上に立つことで成立していたわけですから。

 

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関羽

 

 

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TK

TK

KOEIの「三國無双2」をきっかけに三国志にハマる。
それを機に社会科(主に歴史)の成績が向上。 もっと中国史を知ろうと中国語を学ぶために留学するが 後になって現代語と古語が違うことに気づく。


好きな歴史人物:
関羽、斎藤一、アレクサンドロス大王、鄭成功など

何か一言:
最近は正史をもとに当時の文化背景など多角的な面から 考察するのが面白いなと思ってます。 そういった記事で皆様に楽しんでもらえたら幸いです。

-関羽, 馬超
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