三国志の水軍代表格・江東の水軍、荊州の水軍はどんな評価をされていたの?


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大船団を率いて呉を攻める王濬(おうしゅん)

 

三国志において水軍と言うと、何を思い出すでしょうか。恐らく大半の人々が「江東(こうとう)の水軍」を思い出すと思います。しかし思い出して欲しいのは、その江東の水軍と何度も戦っているはずの荊州(けいしゅう)水軍……彼らはどれくらい強かったのでしょうか?

 

今回は中々に注目されていない荊州の水軍に付いて、少しばかり調べてみたいと思います。

 

自称・皇帝
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荊州を治めていた劉表

後継者を決めるのに困っている劉表

 

まず三国志の時代において、荊州を治めていたのは劉表(りゅうひょう)です。彼に付いてですが、正史には「景帝(けいてい
)
の第四子である魯恭王(ろきょうおう)劉余(りゅうよ)の子孫」とありますが、劉表の出自は不明です。劉表は何進(かしん)に仕えていましたが、その頃に荊州刺史王叡(おうえい
)
孫堅(そんけん)によって殺されてしまったことで、帝によって王叡の後任となりました。

カイ良、カイ越、蔡瑁に初めて会う劉表

荊州というのは大変に豊かな土地であり、後に董卓(とうたく)から逃れてきた学者たちも移住するなどしたことから劉表は良い部下を集めることに成功しましたが、董卓の死後に孫堅と戦うことになります。この際に出てくる孫堅と戦うことになる配下、黄祖(こうそ)は水軍を率いたという記述があるのです。


荊州の水軍の活躍が読み取れる場面

黄祖

 

ややこしくなりますが、劉表の配下である黄祖の更に配下である陳就(ちんしゅう
)
という人物がいて、彼は都督の地位にいました。彼が水軍を率いていたという記述が正史にあります。なのでおそらく、黄祖の配下として、つまり劉表の軍には荊州水軍があったと思われます。

孫策に攻撃される黄祖

 

この荊州水軍は正史においてそこまで描写がされていません。黄祖は孫堅と戦った際に孫堅を打ち取りますが、この事から息子たちに父親の仇と認識されてしまいます。そして208年に孫権(そんけん)の軍勢が江夏を攻撃して来ると、陳就は黄祖から先鋒を命じられ、孫権軍を迎撃しました。

 

孫権に攻められ戦死する黄祖

 

この戦いにまで三度ほど黄祖は孫策(そんさく)、孫権と戦っているので、その際にも本人ではなくとも水軍は派遣されていたようです。最終的に水軍を率いていた陳就は討ち取られ、此処に幕を閉じます。荊州の水軍は、ここで幕を閉じます。


これ以後の荊州水軍は?

官渡の戦い 騎馬兵

 

劉表は官渡の戦い(かんとのたたかい)で立場が難しくなったこともあり、曹操(そうそう)と敵対してしまいます。その上、劉表は亡くなって息子は曹操に服従し、それから先はほぼ描写されません。黄祖は孫権たちに討ち取られ、赤壁の戦いに繋がります。ここでは大々的に水軍が利用されていますが、実際に海上戦を行うような描写は正史を見ても少ないと言わざるを得ません。

三国時代の船 楼船

これは筆者の想像ですが、水軍というのは当時、大々的に戦うというよりも船で物資や兵士を運ぶ運搬役として利用されていたのかもしれません。またその特性上、海や川がないと水上戦にはならないので、水軍同士の戦いと言うのは限られていたのでしょう。このため、水軍は歴史に記されるのは少なくなったのではないか……と思います。


余談:呉の水軍のその後

合肥の戦いの満寵

 

最後に少し余談を話しましょう、これは合肥(がっぴ)のお話です。張遼(ちょうりょう)が亡くなった後に合肥には満寵(まんちょう)が派遣されました。孫権はこれ幸いと毎年合肥に攻め込んで追い返されるようになりますが、これを良く守ったのが満寵です。

合肥の戦いの満寵と孫権

しかし満寵も何度も攻め込んで江東の水軍に危険を感じ、合肥城ではなく新しく合肥新城を築きます。この際に上陸して攻め込んできた呉軍を満寵は撃退した、と正史にも記されています。この事から、水軍というのはやはり兵士を運ぶ、呉軍の水軍の凄さはたくさんの兵士を運べることにあったのでは?と思いました。

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

因みに荊州の守備に置かれた関羽(かんう)樊城(はんじょう)攻めで(いきなり)水軍を使ったりしますが、特に目覚ましい活躍を描写されたりなどはありませんので、除外させて頂きました。水軍として呉軍が度々活躍したように描かれますが、それ以外の水軍がやや(描写的に)不遇なことを考えると、地理的な面で水軍が華々しい戦果を挙げることはなかったのかもしれませんね。

 

それでも調べてみると、もしかしたら目立たないだけで色々な場所で水軍は働いていたのかもしれないことが分かりました。水軍たちのように、目立たないけれど活躍していた人たちはいたのかもしれませんね。

 

参考文献:

後漢書 呉書孫破虜討逆伝 呂蒙伝

魏書満寵伝

 

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