こちらは2ページ目になります。1ページ目から読む場合は、以下の緑ボタンからお願いします。
この記事の目次
三国志平話で張飛の人気はピークに
宋から元にかけて三国志平話が編纂されたと言われていますが、張飛はその中で主人公とも言えるような位置づけで描かれています。
基本的に張飛はトラブルメーカーで何かと問題を起こすわけですが、それが物語を進行させるなど登場人物の中でも重要性が高いキャラクターと言えるでしょう。そしてその背景には前述した唐代での張飛の躍進が大きく影響しています。
また、現在でこそ財神として有名な関羽ですが、平和の冒頭では無一文として描かれるなどお金とは無縁のイメージ。
逆に張飛は金持ちのボンボンで関羽や劉備に酒をおごるシーンが描かれています。
こうした描写はそれ以前に肉を売っていた張飛を財神とする信仰があったことが要因です。しかし、筆者としてはこの当たりが張飛人気のピークだったと考えています。
関羽が財神や守護神として祀られ始める
宋から元にかけて関羽は民間の中で財神として信仰されるようになり、皇帝からは国家を守る守護神として祀られるようになります。一応、元代には張飛も11代皇帝のトゴン・テムルから加増を受けていますが、関羽はそれを遥かに凌ぐ回数で加増されています。
関連記事:なぜ関羽は祀られるようになったの?初期の関羽信仰から神様になった経緯
明、清代に人気が逆転
明代には三国志演義が編纂されているわけですが、ここでは関羽が忠義の士として描かれ、それが諸外国にまで広まったことで関羽が張飛以上に著名になっていきました。歴代皇帝による加増も激しくなり、関羽の地位は神様の域に達します。
これで張飛との人気は完全に逆転したと言えるでしょう。ただ、関羽が「三界伏魔大帝」という神様になった際に、張飛も「三界伏魔副将」として祀られるなど関羽の出世が張飛に影響を与えている点もあります。
とはいえ、清代には関帝廟があちこちに建てられ、それ以前に比べると張飛を信仰する人は減ってしまいました。台湾でも以前は比較的多かった張飛廟も現在では一部の流派や地域で祀られる程度となるなど規模の縮小が見られます。
関連記事:関羽が財神?軍神がどうして商売の神様になったのか調べてみよう
関連記事:関羽がむしろ学問の神様?受験へのご利益まで期待される『神関羽』様は現代社会でも大忙し!
三国志ライターTKのひとりごと
正史の三国志では、関羽も張飛も驚くほど記載が少ないです。つまり、それだけネタがない状態だったわけですが、三国志平話と演義を経て張飛と関羽は様々なエピソードを持つ魅力的な人物となり、現在のイメージ確立へとつながっています。
これは東晋以降に裴松之が注釈した正史を元にして様々な物語が生まれたためです。結果的に関羽と張飛どちらが人気だったのかというと筆者としてはやはり後半の伸びが凄まじかった関羽に軍配を上げたいと思います。
ただ、いずれも拮抗していた時期があるのは確かなので、勝ち負けは個人個人の捉え方次第になります。皆さんは関羽と張飛どちらが人気だったと考えますか?
関連記事:関羽は武神に相応しいの?「正史三国志」の実績を考察
関連記事:神は関羽だけではない!魏の曹植の天才ぶりを作詩と共に紹介
関連記事:関羽はどうして神格化されてメジャーになったの?三国志で唯一、神になった武将