主君に毒を盛られたら?【あの手この手の解毒法】




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病に倒れる始皇帝

 

もっとも労力がいらず、そしてバレにくい暗殺方法、それが毒殺です。

 

曹操

 

毒殺と言うとドラマや映画では、毒を口にいれた途端苦しみだして、あっと言う間に死ぬという演出が多いですが、ああいうのは稀であり、大体は少しずつ毒を盛って病死に見せかけて殺す事が多かったようです。

 

三国志の時代にも、あ!毒を盛られたと思った時対処する方法が幾つかありました。




家臣に毒を盛る孫晧

孫晧(孫皓)

 

三国志には自ら毒をあおって死ぬ話はあるものの、主君に毒殺されるという話は大っぴらには載らないものですが、ストレートな毒殺話が呉志三嗣主伝が引く江表伝にあります。

 

かつて孫皓が華里(かり)に游んだ時、万彧(まんいく)丁奉(ていほう)留平(りゅうへい)と密談して「この游行(ゆうぎょう)は不必要だ。もし帝が華里から帰らなければ我々は帰還して別の帝を立てねばならない。社稷の方が帝位より重いからだ」と語った。

 

この会話が漏れて孫皓の耳に入った。孫晧は万彧らが旧臣なのでこの場は問題にせず、いつか殺そうと決意した。重臣丁奉の死んだ後、孫晧は宴会で毒酒を万彧に飲ませたが、伝酒人(でんしゅにん)はこっそりと毒の量を減らしたので死ななかった。

 

留平にも毒酒を飲ませたが留平は気づいて、他の薬を服用して解毒し死なずに済んだ。しかし、孫晧に命を狙われたと知った万彧は自殺。留平は不満と憂いを抱いて1月の間に死んだ。

 

忙しい方にざっくり解答03 kawausoさん

 

このように、孫晧はストレートにお酒を注ぐ人(恐らく宦官(かんがん))に命じて、万彧と留平に毒を盛ろうとしますが、万彧は毒の量を減らしたので助かり、留平は途中で気が付いて、他の薬を服用して助かっています。

 

もっとも、孫晧が毒を盛ろうとした事実を知った2人は、もはや命は全うできないと諦め、自殺したり憤死したりしているので、ただただ孫晧のマヌケな残虐ぶりが際立つ話です。

 

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当時の解毒剤とは?

華佗(華陀)と陳登

 

万彧と違い、留平は人望がなかったのか、あるいは宦官を買収するのに失敗したのか、そのまま毒酒を飲んで慌てて他の薬を飲んで、一応は難を逃れたとあります。

 

では、当時の解毒剤とはどんなものだったのでしょうか?

 

調べてはみたのですが、古代中国の解毒剤について有力な情報は見つかりませんでした。しかし、中国では毒と薬は紙一重とされていて、トリカブトでさえ少量なら新陳代謝を高める薬とされていました。

 

呂不韋

 

キングダムでもお馴染みの豪商呂不韋が編纂した呂氏春秋によると、萬菫不殺(まんとうふさつ)という言葉があり、萬はサソリ、菫はトリカブトで、サソリの毒にやられたらトリカブトで中和し、トリカブトの毒にはサソリで中和すると出ています。

 

曹操頭痛

 

データによると、トリカブト毒は摂取して10~20分で発症する事が多く、死亡事例は6時間以内ですが、24時間生き延びれば回復する可能性が高いそうです。

 

出典:サソリの生態

 

そのため、トリカブト毒が回るのを遅くする為に、サソリ毒を使うという方法が考えられたかも知れません。つまり留平の解毒薬は別の毒薬だったのかも、あくまで推測ですが

 

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【三国時代に生きた人の暮らしと一生に迫る】
三国志ライフ

 

王異と解毒剤

王異

 

三国志では珍しく女性で戦闘に参加した人物に王異がいます。

 

彼女は趙昴(ちょうこう)の妻で西城に住んでいましたが、梁双の反乱に遭遇、男子2人を梁双に殺され囚われの身となりました。王異は梁双に乱暴される前に自決しようとしますが、6歳の1人娘がいたので決断できず、考えた上で汚物を塗りつけた麻をまとい、食事を断ってやせ細って醜くみせる事で免れました。

 

やがて、梁双が郡の長官と和解し王異と娘も解放されるのですが、王異は「私は貞節を汚したので、今さら(しゅうと)に合わせる顔がない」として娘と別れて毒を飲んで気絶しました。しかし、たまたま、その界隈に解毒剤があり、口をこじあけて薬を飲まされたので一命をとりとめたとあります。

 

捕虜から解放された直後であり、毒を入手する方法がなさそうな事や、界隈に解毒剤があったというアバウトな表現ながら、これは王異がトリカブトの野草を摘んで死のうとし、サソリの毒で中和されて救われたという事ではないかと思います。

 

調べてみると中国全域にサソリは生息しているので、あながち間違いではないかも

 

出典:サソリの生態

 

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身近な解毒剤 お茶

年を取った司馬懿

 

三国志の時代には、もちろん冷蔵庫もありませんし、食品衛生の知識も少なく、細菌やウイルスの知識も皆無でした。そのため、食中毒は今以上に身近に起きていて、運が悪いとオダブツという事だってあったのです。そこで、解毒剤として飲まれていたのがお茶で、お茶のカテキンはО-157のような大腸菌の細胞膜を破壊して殲滅します。

 

用心深い人はお茶を飲んで、食中毒死という身近なリスクに備えていたようですよ。

暴君・孫皓にしっかり意見を言う陸凱(りくがい)

 

暴君の孫晧も、お酒が弱い韋昭(いしょう)のためにお茶を与えたという逸話があります。孫晧は家臣1人につき、7升の酒を飲ませていましたが、韋昭は酒に弱くて二升が限界なので、孫晧は密かに酒とお茶を取り替え酒を飲んでいるフリをさせたようです。

 

飲めないヤツがいると座が白けると思ったのか、韋昭に配慮してお茶にしたのか、本当の所は分かりません。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

今回は三国志の時代に毒を盛られたらどうするかについて書いてみました。当時の解毒剤は毒を以て毒を制すだったようですが、リアルな話、それで助かっても主君に命を狙われている以上、出奔するか、逆に主君を殺す以外に長生きする道は無かったでしょうね。

 

参考文献:正史三国志

 

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【義に生きた武人・関羽】
関羽

 




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