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合肥侯擁立事件は王芬を嵌める袁紹のドッキリだった!


 

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霊帝の皇帝廃位のクーデターを曹操にも誘う王芬

 

後漢の末期に発生し杜撰な計画の為に曹操も参加を拒否した霊帝廃位のクーデター合肥侯擁立事件(がっぴこうようりつじけん)

 

はじ三でも特集を組んで事件の関係者を追って見ましたが、今回、読者の月友さんより、そもそも合肥侯擁立事件はでっち上げで冀州刺史の王芬(おうふん)を排除する為に仕組まれたドッキリだったのでは?という話が出てきました。

 

それは一体、どういう事なのか?月友さんの説を元に、新しくkawausoの考えも入れて解説してみようと思います。

 

人形劇三国志の語り手風 kawausoさん、おとぼけさん

 

※こちらは推測を楽しむ記事です。そういう考えもあるんだなと受け取って頂けると幸いです。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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合肥侯の正体は霊帝の弟?

王族ボンビーから一転セレブ03 董太后、霊帝(女性)

 

合肥侯国は雲台二十八将の22位に位置する左曹(さそう)堅鐔(けんたん)建武(けんむ)6年(西暦30年)に合肥侯になった事から始まり、堅鴻(けんこう)堅浮(けんふ)堅雅(けんが)と4世に渡り約100年統治されます。そして、合肥侯国が廃止されて合肥県になったのは建安5年(西暦200年)の事でした。

 

幕末 西郷隆盛(パソコン)はてな

 

堅氏が統治から離れて70年余りは不明ですが、流れ的に後漢劉氏の一門が合肥に封じられたと考えられます。その根拠としては中国版のWEBでは合肥侯について立弟弟(りつていてい) 合肥侯とあり、それが霊帝の治世である事から霊帝の弟が合肥侯についたと考えられるようです。

 

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袁紹と許攸により王芬は嵌められた?

許攸の進言を無視する袁紹

 

さて、現職の冀州刺史だった王芬がクーデター失敗を受け自殺したのは中平5年(188年)で、翌年には廃するまでもなく霊帝が崩御します。そして、冀州刺史の後釜に入ったのが袁家の故吏だった御史中丞(ぎょしちゅうじょう)韓馥(かんふく)でした。

 

董卓の要請を断り切れず冀州牧に就任する韓馥

 

さらに、合肥侯擁立事件では袁紹の奔走の友である許攸が暗躍しています。王芬が自殺後、袁家の故吏である韓馥が後継刺史になり、袁紹の奔走の友である許攸が事件に深く関与しているのは、偶然にしては出来過ぎです。

 

kawauso

 

kawausoは王芬について、どうして袁紹のような中央のパイプを利用しなかったのか?と疑問を呈しましたが、最初から袁紹が王芬を嵌めるつもりだとすれば話は簡単です。

 

許攸が適当に王芬に口からでまかせのクーデター計画を持ち掛け「私と袁紹は奔走の友ですから、決行の時は任せて下さい」と適当な出鱈目を吹きこんだのかも知れません。

 

王芬

 

王芬は四世三公の袁家の権勢を知っていますから舞い上がり、もうクーデターは成功したも同然だと油断したとも推測できます。

 

許攸

 

あるいは合肥侯がクーデターに賛同していると嘘を吹きこんだのも許攸かも…それなら合肥侯も霊帝もクーデター計画を知る事が出来るハズもありません。すべては、許攸の舌先三寸で産み出された虚構に過ぎないのですからね。

 

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合肥侯擁立事件

 

 

外戚派を増やす為、袁紹は王芬を排除した

十常侍(宦官)

 

では、どうして袁紹はでっち上げのクーデター計画を王芬に信じ込ませて排除しようとしたのでしょうか?

 

それは当時宮廷で起きていた宦官(かんがん)の十常侍勢力と霊帝の外戚(がいせき)である何進(かしん)をバックにつけた地方豪族を主とする士大夫勢力の勢力争いがあったためでした。

 

何進

 

党錮の禁で地方豪族の勢力を封じ込めていた十常侍ですが、184年の黄巾の乱により地方に押し込められた士大夫階級が黄巾に味方する事を恐れた後漢王朝は党錮の禁を解きます。そこから地方豪族は息を吹き返し、地方官ポストを巡りどちらも少しでも味方を増やそうと必死だったのです。

 

張譲(宦官)

 

十常侍は全員が列侯に登り、一族を地方官のポストに就けていて、外戚の何進としては、1人でも多く地方官を味方につけておきたい所でした。

 

クーデターがバレたと勘違いして自殺する王芬

 

そこで、王芬をでっち上げのクーデター計画で釣り上げ、それが頓挫(とんざ)したと見せかけて自殺に追い込み、後継ポストに腹心の韓馥を置いたという図式です。

 

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王芬を仲間にしなかった理由は?

許攸

 

しかし、ここで疑問が出てきます。王芬は濁流派ではなく、むしろ宦官に殺害された清流派陳蕃(ちんばん)の子の陳逸(ちんいつ)を仲間に加えている程なので、紛れもなく清流派で袁紹一派と思想的には遠くなさそうです。

 

にもかかわらず、袁紹が王芬をスカウトしなかったのは、何故なのでしょう?

 

これはkawausoの推測ですが、恐らく王芬が袁家とは故吏の関係になく土壇場で信頼が置けなかった点、あと1つは身も蓋もない話ながら、スパイで入り込んだ許攸が「王芬はバカなので仲間にしなくていいです」と袁紹に進言したのかも知れません。

 

霊帝の留守を狙ってクーデーターを起こそうとする計画 霊帝、周旌

 

王芬の為には否定してあげたい所ですが、実際合肥侯事件では1人で空回りし、唯1人自殺したので、やはり許攸の見立ては正しいと言うしかないかも…刺史まで昇進するので王芬には行政手腕があったのだと思いますが、権謀術数(けんぼうじゅつすう)で鳴る許攸が相手ではどうにもなりませんね。

 

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曹操はどこまで知っていたのか?

王芬のクーデターが失敗すると見抜く曹操

 

では合肥侯擁立事件を曹操はどこまで知っていたのでしょう?

 

君主論18 kawausoさん

 

kawausoの推測では、曹操はでっち上げの裏事情まで知らなかったと思います。知っていれば、後年になって事件を述懐する事はないと思いますし、あれは袁紹や許攸のでっち上げと書きそうなものだからです。

 

霊帝の皇帝廃位のクーデターの誘いを断る曹操

 

ですので、曹操は袁紹や許攸の謀議には関係しておらず、周旌から持ち掛けられた計画だけを聞いて、こりゃダメだと放り出したのだと思われます。

 

そして、許攸も曹操には計画を持ち込まなかったと考えられます。もし、許攸がこんな杜撰なクーデター計画を曹操に持ち込んだら、曹操は許攸に幻滅するでしょうし、そうでなければ、ここには何か裏があると勘づくでしょう。

 

周旌

 

そのため、曹操に計画を持ち込んだのは同じ沛国礁県(はいこくしょうけん)出身の周旌(しゅうせい)だったと思います。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

kawausoは月友さんの合肥侯擁立事件でっちあげ説に納得しました。そうでなければ、霊帝を廃し新しい皇帝を立てるという大逆事件が、特に調査もなく首謀者1人の自殺で終るとは到底思えないからです。

 

袁紹

 

やはり最初から合肥侯擁立計画など存在せず、許攸が袁紹と示し合わせ、でっち上げた架空の計画で、王芬と数名のシンパだけが騙され踊らされて自滅したと考える方が自然に思えます。だとしたら、ひでー話ではありますけど説得力がありませんか?

 

もちろんこれは仮説なので、私はこう思うという読者の方がいれば、そちらも取り上げてみたいと思います。

 

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鍾会の乱

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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