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董卓の「卓」の意味とは?
董卓は辺境の軍団長から千載一遇の好機を掴んで洛陽に君臨し、事実上後漢王朝を滅ぼした人物であり、暴飲暴食と肥満と暴力政治から3世紀の産廃とも言われます。
そんな董卓の諱の卓は、ひときわ高く抜きんでているという意味で、董卓の非凡な才能を暗示しています。しかし、それ以上にスゴイのは「卓」の漢字の成り立ちは、明け方の太陽を意味する早に、ヒトの象形文字である匕が合わさった点にあります。
太陽を天子であるとすると、董卓はその太陽の上に立って思うがままに操ったのであり、卓という漢字の成り立ちそのままになるのです。
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孫堅の「堅」の意味とは?
孫堅は孫策や孫権の父です。曹操や劉備と同世代の群雄ですが、黄巾の乱以前より傭兵家業をやっており、生前の実力は曹操や劉備も上回り董卓も恐れて懐柔しようとしています。
そんな孫堅の諱の堅は、引き締まって堅いという意味です。確かに孫堅は贅肉がなく引き締まった肉体を持っているような感じですが、これだけではちょっと寂しいですね。
そこで、漢字の成り立ちを見ていると堅は、臤+土で出来た会意文字だそうで、臤は、家臣たちが王の前で身体を緊張させている姿を表しています。
こう見て見ると孫堅は、董卓が洛陽を支配する前から横暴な董卓を斬ろうとしていた人物であり、洛陽が焼かれた後に入城して、皇帝の墓を修復したりしていますので漢王朝の忠臣という考え方も出来ます。孫堅は漢王朝の忠臣であり、同時に引き締まった肉体を持っている細マッチョヒーローという事が出来るでしょう。
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劉禅の「禅」の意味とは?
劉備の子で幼名の阿斗がアホの語源になったと言われる残念な君主劉禅。
そんな劉禅の諱の禅は、そのものズバリ位を譲るという意味でした。まさか元服した時に、劉備がそう思って付けたとも思えませんが結果としては蜀が滅亡して後、魏は晋に禅譲して西晋が建国しています。
もっとも諱は元服してからつけられるので、劉備が時期皇帝は阿斗で行こうと決めて諱を禅にしたとも推測できますが、まさか阿斗の時代で蜀が終わるとは考えなかったのでしょうね。
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魏延の「延」の意味とは?
三国志演義では反骨の将軍として諸葛孔明に嫌われ孔明死後に排除される魏延ですが、史実では有能な将軍で劉備に忠義を尽くした人でもあります。そんな魏延の諱は延で、これには長引かせる。日時を遅らせる。つぎたして長くする。導く。案内する。招く。引き寄せる。身を引く。進める。など多彩な意味があります。
魏延と言えば諸葛孔明の死後、撤退に反対して徹底抗戦を叫んだ経緯があり、長引かせる、日時を遅らせるという意味は深い感じがします。
同時に、長安を単独で落とすという魏延の北伐プランからは、導く、案内する、進めるという意味合いを感じます。
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陸遜の「遜」の意味とは?
呉の名将陸遜。
元々は無名の人物でしたが、関羽に対してへりくだった態度を取って油断を誘って撃破し、報復にやってきた劉備にも呉の領内深く誘い込む方法で、兵力を分散させ、最後は火攻めで打ち破りました。
そんな陸遜の諱の遜はズバリ、逃れる、逃げ去る、ゆずる、自分のモノや地位を他人に与える、相手を尊敬してへりくだる、従う等、彼の人生をそのまま言い当てたような意味でした。
しかも、陸遜の元の諱は「議」で遜は改名したものなのです。議だと、はかる、論じ合う、思いを巡らすなど堂々とした意味になりますが、陸遜っぽいイメージではありません。やはり諱を変えた事で、陸遜は陸遜らしくなったと言えます。
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三国志ライターkawausoの独り言
いかがでしたか?
実際には、関羽のように羽の一文字だけでは意味が読み取れない武将もいましたが、色々調べてみると、多くの武将の諱には、その人の人生を暗示するような意味合いが込められている事が分かりました。諱は多くの場合、三国志武将の人生を暗示するようです。
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