出自が正反対の鄧艾と鍾会、蜀を滅ぼした功績者の悲しい末路




はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

司馬昭から蜀の討伐を命じられる鍾会と鄧艾(トウ艾)

 

魏の武将、「鄧艾(とうがい)」と「鍾会(しょうかい)」はともに蜀征伐に赴いた武将です。

 

鍾会に謀反の疑いを讒言され処刑される鄧艾(トウ艾)

 

しかし、二人の出自は全然違い、また因縁の相手でもありました。特に鄧艾の最期には鍾会の行動が深く関わってきます。今回の記事ではそんな二人の関係性について探ってみようと思います。




裕福ではなかった鄧艾

屯田民だった若き鄧艾(トウ艾)

 

鄧艾は早くに父を亡くし、母子で裕福とは言えない生活を送っていました。そんな時、生まれ故郷を曹操に侵略され、鄧艾母子は「屯田(とんでん)民」(移住させて新田開発をさせる)として別の場所に移住させられることになったのです。

 

吃音で悩まされた鄧艾(トウ艾)

 

鄧艾は12から13歳くらいの時に役所に出仕することになったのですが、言葉がうまく出ない「吃音」というハンデを背負っていました。

 

地理や地形に精通していた鄧艾(トウ艾)

 

吃音の為か周囲に疎まれていましたが、山や沼を測量し、地図に有事の為の印をつける趣味も持っていました。

 

農業の知識が豊富な鄧艾(トウ艾)

 

あるとき都へ行く機会を得て、そこで当時の魏の権力者「司馬懿(しばい)」に謁見するチャンスも得ます。鄧艾はその謁見で才能を認められ、中央で出世していくことになります。

 

鄧艾

 

農政で力を発揮し、将軍職に転じた後は、異民族の慰撫や謀反の鎮圧、蜀による北伐の対応で功績をあげています。




名門出身のサラブレッド、鍾会

鍾繇(しょうよう)と木簡

 

鍾会の父は魏の建国の功臣の1人、「鍾繇(しょうよう)」です。

 

鍾会

 

鍾会は子供のころから母親の影響で勉学に励み、「並外れた人間」と評価されていました。

 

自分は天才肌だと勘違いする鍾会

 

20歳の時に若くして朝廷に出仕し、その才能と父の功績によりとんとん拍子に出世していくことになります。

 

張良

 

謀反の鎮圧等で主に策略を持って活躍し、「張良(ちょうりょう)(前漢劉邦の軍師)の様だ」と称されました。

 

ローランド風 鍾会

 

しかし、朝廷に悪口を吹き込み人を追い落としたり、自分の功を過剰に誇ったりすることもあったようです。また、人の筆跡をまねることもできたと言われています。

 

関連記事:古の軍師、張良に陳寿と裴松之もぞっこんほれ込む?

関連記事:姜維は本当にかっこいい系イケメンだったの?公式イケメン張良との面白い繋がり

 

【独立を夢見た早熟の策士・鍾会】
鍾会特集

 

鄧艾と鍾会、蜀征伐に赴く

司馬昭

 

263年、魏の司馬昭(しばしょう)は国力の衰えた蜀を征伐することを決意します。その命を受けたのが鄧艾と鍾会でした。

 

姜維と鄧艾

 

魏軍は緒戦は次々に城を落とし、蜀の名将姜維(きょうい)を撤退させるなどしました。

 

三国志 剣閣のお城

 

しかし、姜維は蜀の要衝にて天然の要害「剣閣(けんかく)」に籠り抵抗をしました。

 

剣閣で守りを固める姜維

 

姜維は頑強に抵抗し、なかなか剣閣を落とすことが出来ません。

 

鄧艾(トウ艾)と一緒に木を切り蜀に前進する鄧忠(トウ忠)

 

鍾会は撤退も検討しましたが、鄧艾はある提案をします。それは剣閣を迂回し、前人未到のルートで蜀の首都成都に迫ろうというものでした。

 

毛布に包まり崖を転げ落ちる鄧艾(トウ艾)

 

鄧艾はその策を実行し、困難を乗り越え蜀に到達。

 

鄧艾と全面対決で敗れて亡くなる諸葛瞻

 

諸葛亮(しょかつりょう)の息子などを撃破し、ついには蜀の君主劉禅(りゅうぜん)を降伏させ、蜀を滅亡させます。

 

関連記事:出師の表が広まった理由は劉禅がおバカだったから?

関連記事:司馬昭と劉禅の宴会のシーン、賈充の言葉を噛みしめてみる

 

【蜀漢の滅亡】
蜀漢の滅亡

 

鄧艾、蜀の地で逮捕される

蜀を滅ぼし己の功を自慢しはじめる鄧艾(トウ艾)

 

蜀征伐に成功した鄧艾、鍾会には大きな褒賞が与えられました。鄧艾、鍾会は昇進し、鄧艾は2万戸、鐘会は1万戸の加増を受けました。

 

トウ艾(鄧艾)が気に食わない鍾会

 

また、鄧艾は蜀支配の主導権を握ることになります。やはり功績の大きさは鄧艾が評価されることになり、鍾会は悔しい思いをしたのかも知れません。

 

鄧艾(トウ艾)と共に謀反の疑いで捕まる鄧艾と鄧忠(トウ忠)

 

鄧艾は蜀の地で勝手に官位を与えたり、呉侵略の準備を意見するなど独断専行が目立つようになり、ついには謀反の疑いで逮捕されてしまいます。

 

野望が膨らむ鍾会

 

この鄧艾の独断専行を糾弾し、上奏(朝廷に伝える事)したのは鍾会だったとされます。

 

歴史書をつくる裴松之

 

また正史「三国志」の注に引用されている「世説新語(せせつしんご)」という逸話集では鍾会が鄧艾、司馬昭の筆跡を真似、鄧艾を陥れた、ということになっています。

 

関連記事:賈詡の功績と評価は陳寿と裴松之では全然違う!裴松之はアンチ賈詡?

関連記事:後世に残った陸遜の汚名と裴松之の非難を考察

 

【次のページに続きます】




次のページへ >

1

2>

関連記事

  1. 地理や地形に精通していた鄧艾(トウ艾)
  2. 鄧艾(トウ艾)と共に謀反の疑いで捕まる鄧艾と鄧忠(トウ忠)
  3. 毛布に包まり崖を転げ落ちる鄧艾(トウ艾)
  4. 鍾会の乱に巻き込まれる鄧艾(トウ艾)
  5. 忘年の交わりを結んだ鄧艾(トウ艾)と陳泰
  6. 鍾会に謀反の疑いを讒言され処刑される鄧艾(トウ艾)

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。




はじめての三国志企画集

“はじめての三国志企画特集"

“はじめての三国志倶楽部

“濡須口の戦い

“赤壁の戦い

“公孫瓚

“はじめての三国志公式LINEアカウント"

“光武帝

“三国志データベース"

“三国志人物事典

鍾会の乱

八王の乱

3冊同時発売




PAGE TOP