龐統と法正は協力し劉備の蜀獲りに参加していた?その役割分担に迫る!

2021年7月10日


 



監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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龐統死す!法正が取った計略は?

流れ矢にあたる龐統

 

しかし龐統は順調に攻略を続けている途中、雒城(らくじょう)で流れ矢に当たり帰らぬ人になります。

 

徐庶がいなくなり寂しがる劉備

 

龐統が死んだ時、劉備は幾日も嘆き悲しんだとされますが法正については、どうしていたか記述がありません。ですが、ここで初めて法正は成都の劉璋に対して降伏勧告文を送りつけています。

 

 

タイミング的に龐統が死んでしまい実戦の指揮官が失われたので、この辺りで柔の路線に転換し、あわよくば劉璋を降伏に追い込めると考えたのかも知れません。ただこの時点では劉璋は法正の降伏文書を黙殺しています。

 

龐統が戦死し大苦戦した雒城ですが、ようやく守将の張任を捕らえる事に成功し陥落させました。

 

劉備軍に降伏する馬超

 

ここから劉備軍は成都を包囲するだけとなり、趙雲や諸葛亮、張飛などの援軍も到着し、馬超までが投降してくるラッキーもあり、劉璋も十日後には降伏します。龐統と法正は、それぞれ派閥も違えば考えも違いますが、劉備の蜀獲りについてはお互いに足りない部分を補いあいコンビとして上手く機能したと言えるでしょう。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

正史三国志は複数の列伝を同時期で比較する事で、それぞれの人物の関係と行動に関連性が見えてきます。特に龐統と法正はどちらも謀臣として1つの巻にまとめられるほどに似たようなカテゴリーだと認識されているのですが、こうしてそれぞれの列伝を比較すると単独では見えてこなかった行動の理由が分かってきて面白いですね。

 

参考文献:正史三国志

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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