145話:合肥新城の敗北と諸葛恪の没落のはじまり【全訳三国志演義】


 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



諸葛恪流れ矢を受けてふんだり蹴ったり

洛陽城

 

張特「ヒャッハー!引っ掛かったか!あのロバ顔のお人好しめが!」

 

張特は大喜びで城内の民家を壊して、破壊された城壁を修復すると、城壁の上に登って散々に諸葛恪をバカにしました。

 

公孫淵

 

張特「引っ掛かったな、呉の猿どもが!我が城には、まだ後半年分の食糧の備蓄があるわ誰が好き好んで呉の野蛮人共の軍門に下ろうか?悔しかったら我が城を落としてみよ。おしーりぺーんぺーん!やーい!やーい正直者の正助(しょうすけ)さーーんw」

 

敗北し倒れている兵士達b(モブ)

 

騙されたと知った諸葛恪は怒り狂い、兜もつけずに前線に出て烈火のごとく新城を攻撃させますが、たまたま飛んできた魏兵の流れ矢が諸葛恪の額に命中し馬から転げ落ちます。

 

「ああっ!将軍を助けよ」

 

朝まで三国志2017 観客 モブ

 

諸葛恪は救助され、幸いに命に別状はありませんでしたが、敵の前で醜態をさらした上あまりの不甲斐なさに、自軍の将兵の士気を下げてしまいました。

 

関連記事:ギョッ!これも薬?華佗も利用した、ちょいグロな漢方薬の話

関連記事:【江陵攻防戦】名将・曹仁が見せた粘り腰が周瑜に致命的な一撃を加える

 

諸葛恪、退却要請を拒否

兵士 朝まで三国志

 

季節は猛暑であり、食糧ばかりか水も乏しくなった呉の陣営では衛生環境が極端に悪化します。諸葛恪は少し傷が癒えるとまた前線に出ようとしますが、部下たちは「兵士は皆、病み(おとろ)えており、とても城を攻める所ではありません」と止めました。

 

諸葛恪は腹を立てて「今後、病の事をあげつらう者は斬首とする」と命令しましたので、兵士たちは呆れ果て、毎日のように脱走兵が続出するようになりました。

 

そして、とうとう、都督(ととく)蔡林(さいりん)が手勢を率いて魏に投降したという情報が諸葛恪にもたらされます。驚いた諸葛恪は自ら馬に乗り、陣営を回ると兵士の顔は全て黄色く腫れ上がり、いずれも病気に冒されている様子です。

 

病気になった兵士

 

(これでは、とても戦うどころではないわい…)

諸葛恪はようやく敗北を悟り退却の準備を開始しますが、その情報はすぐにスパイにより魏にもたらされました。

 

カン丘倹(毌丘倹)

 

毌丘倹は、「今こそ東興の千倍返しだ」と士気の欠片もない呉軍に襲い掛かり、散々に撃ち破ります。こうして諸葛恪は僅かな手勢を率いて惨めな姿で建業に引き上げたのです。

 

関連記事:毌丘倹とはどんな人?異民族討伐ジュニア司馬師の術数の前に倒れる

関連記事:毌丘倹(かんきゅうけん)とはどんな人?朝鮮半島に進出し倭も吸収合併を目論んでいた?

 

全訳三国志演義ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

東興の大勝利で有頂天になった諸葛恪は不吉な兆候も無視してイケイケドンドンで、孫権も落とせなかった合肥新城の攻略に挑みます。

 

しかし、実戦経験に乏しく坊ちゃん育ちの諸葛恪は、ただ刑罰をちらつかせて威張るだけで現状を把握する能力が弱く、張特の偽降伏に引っ掛かって攻略の足掛かりを潰した上、疫病がまん延した自軍の現実を直視する事も出来ず、やっと退却した時には、魏の追撃を受けて20万の軍勢の大半を失う結果となりました。

 

諸葛瑾に無茶振りを言う孫権

 

かつて、父の諸葛瑾が危惧した通り諸葛恪は呉の命運を誤らせ、同時に一族を窮地に追い込む事になります。次回の全訳三国志演義では、真夏に相応しい諸葛恪の死にまつわる怪奇現象を紹介します。

 

関連記事:諸葛恪(しょかつ かく)ってどんな人?頭が良すぎて諸葛一族を滅ぼす

関連記事:【元祖妖怪ウォッチ】孫権や諸葛恪、朱桓が目撃した妖怪を徹底分析!

 

関羽

 

はじめての三国志Youtubeチャンネル

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-全訳三国志演義