皇帝の始まり
三国志よりももっと前の時代、殷や周の時代には王がいました。この時代には王こそが最高の役職でした。そこに現れたのが「始皇帝」です。
秦の秦王・政が中原を統一すると、秦王・政は自分を中国神話上の三人の神君・三皇と五人の聖君・五帝を超える存在であるとして、新たな称号「皇帝」を名乗るようになったのです。これこそ始まりの皇帝、始皇帝です。この皇帝という名は以降でも用いられ、王という役職よりも皇帝の方が上である存在となったのですね。
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—熱き『キングダム』の原点がココに—
王を封じる利点
ここでもう一つ出てくる疑問点。例えば司馬炎が一族権力を高めるために王を封じた、任命したのは分かります。ではそれとは別に、例えば献帝が曹操を魏王に封じたりするのはただ他人に権力を与えてしまうだけで、メリットがないのでは?
やっぱり曹操ってわるいやつなんじゃ? まあ曹操を例にすると権力を持ち過ぎているので分かりにくいのですが、王を封じるというのは皇帝の権力を高めるために必要不可欠なのです。
王というのは皇帝の家臣であり、王の力、土地は全て皇帝のものです(形式上)。このためやたら王に封じることで(形式上の)属国を増やし、皇帝の権力を高めるという目的があったのです。ただし三国時代は皇帝の権力が失墜していたので、皇帝という名前を借りてはやりたい放題されていました。
これを省みて天下統一した晋王朝は一族に権力集中するのですが……それがどんな結末を招いたかは、また別のお話。
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始まりの皇帝
最後に始皇帝のお話を。始皇帝は万里の長城、宮殿、そして墓などをどんどん建設したことで有名です。この膨大な規模の建設工事は民衆にとって負担でした。
また始皇帝は色んな場所を巡遊し、行く先々では住人に様々な義務が課したことで民衆の不満はどんどん高まります。結果、始まる騒乱の時代。
そして秦の時代は項羽と劉邦という二大英傑によって滅ぼされ、この劉邦によって漢の時代がやってきて、更に三国時代に続くこととなります。
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三国志ライター センのひとりごと
今回は皇帝、そして王について解説させて頂きました。面白いのは秦は二代で滅んだけれど、その後の漢はかなり長く続いたこと。
これはおそらく秦の時代にある程度の政策、インフラ設備などの「民衆が反感を抱くけれど国の下地として重要なこと」をやり遂げたからではないかと思います。その上でそれらの反感は前時代に押し付け、メリットだけを大きく享受できたからではないかと思うのです。
そう思うと皇帝や王という称号は前時代の遺物でもあり、その後、良く機能してきました。これもまた政治の歴史、そう思うとより感慨深いものがありますね。
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