蜀を滅ぼしたのは誰でしょうか、と言われると司馬昭か鄧艾かを挙げたくなりますが。
もしかしたら「あの宦官・黄皓のせいだ!」と言われる人もいることでしょう。確かに専横を行い、蜀の命を縮めた人物として黄皓の名は良く挙がりますね。しかしここで敢えて、あえーて!劉備の名を出してみようというのが今回のコンセプトです!
三国志演義の補正効果
さて黄皓に関してですが、特に三国志演義の黄皓はそれはもう酷いものです。見ていてむかむかぷんという人は少なくないでしょう。劉禅に気に入られていることを良いことにやりたい放題、その裏で自国である蜀を売って賄賂で懐を温めている様は正に諸悪の根源と言って良いでしょう。ただしこれらは三国志演義の補正、ということは忘れてはいけません。
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だからといって黄皓は清廉潔白ではない
じゃあ正史の黄皓は清廉潔白であり高潔な人柄なのかと言われるとたぶんそんなことは絶対にないでしょう。正史にも「専横をした」「最終的に財宝をばらまいて主をおいて逃走」と、ろくなことを書かれてはいない人物です。
邪推となりますがこのばらまいた財宝というのはどっかからの賄賂の可能性がありますし、そういう面を膨らませて三国志演義の黄皓ができあがったのかもしれませんね。
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「悪」が必要になる
また国が敗北するということはどこかにマイナス、悪い所を押し付ける、つまり責任者が必要です。本来ならばこれは劉禅がその立場ですが、それ以上にそういった責任から逃走した黄皓がこの面を引き受けてしまった、もしくは押し付けられた、という点もあるかと思います。
と、ここでどのような場合においても蜀という国で責任追及ができない人物がいます。この人物こそ筆者が今回挙げたい人物、劉備なのです。
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黄皓の役職
ここで黄皓の役職を見てみましょう。役職は中常侍となっています。このお役目は皇帝の身の回りのお世話をしたりするサポート役であり、まかり間違っても政治に口出しをできる立場ではありません。
しかし黄皓は蜀の政治において専横を行い、彼によって左遷された人物も多くいます。つまり黄皓はそんな立場でもないのに政治や人事に(余計な)口出しをしているということですね。
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黄皓のやったこと
また黄皓のやったことについて。劉禅の寵愛を良いことに、他の有力者たちを失脚させました。劉禅の耳に入る情報を入らなくした、つまり情報の握り潰しがありました。
ただしこれらは宦官としての行動とすると、そこまでおかしくはないのです。特に皇帝の気を悪くしないように嫌な情報をお耳に入れないようにした……というのは、歴代の宦官の行動を振り返れば良くあることでしょう。
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黄皓の何がいけなかったのか?
これら、前述したような行動は第一に「宦官に許してはいけない行為」であり、第二に「宦官ならやることなんだから気を付けなければならない行為」であると思います。つまり黄皓を止める人、何かしても気を付ける人が必要になります。
これに関してはそもそも劉禅自身も省みるべきことであったと思いますね。そして何より、宦官は漢王朝でも悪い意味で猛威を奮った存在なのですから、そんな人物を登用するならばことさら気を付けなければならなかったでしょう。
ではどうしてこんな宦官まで政治参加させるような状況下になったのか?
つまり原因
そこに蜀の人材不足があると思われます。蜀は次代の人々をどでかい敗北でかなり失ってしまいました。そう、夷陵の戦いです。敗北した上に魏の存在を許しては置けない。蜀という国の在り方からすれば魏とは対立し続ける必要がある。
だからこそ手が足りない、人材が足りない……その原因として夷陵の戦いでの敗北があるとすると、黄皓とかいう存在まで使わざるを得ない状況に追い込んだ玄徳殿にもその一因があると思うのですが……皆さんはどうお考えですか?
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三国志ライター センのひとりごと
蜀は、漢です。魏に滅ぼされた(ということになっている)漢を引き継いだ国です。ただしその漢の国は宦官の台頭からボロボロになっていき、宦官と武将たちが対立して崩壊に奪取していきました。
漢を建国したら漢の末路とほとんど同じになっていたというブラックジョーク。ちょっと頭が痛くなってくるブラックジョークですが、今回はこの沼に飛び込んで終わりたいと思います。
どぼん!
参考文献:蜀書黄皓伝
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