3213名に聞きました!呉の滅亡に一番影響した事件は?大調査!


 

呉の絶滅に一番 アンケート

 

募集期間:2021年3月(1週間)

降伏した晋軍が裏切り逆にピンチになる呉軍と張悌(ちょうてい)

 

滅びる時とは、滅びるもの。しかしてそこに至るまでに「前兆」と呼べるものがあることに気付けるのは、次代を後から見返せる者たちの特権でしょうか?

 

普に降参する孫皓

 

今回のアンケートは「呉の滅亡に一番影響した事件は?」。

皆さんが挙げた理由を、一つ一つ見ていきましょう。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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二宮の変

孫権から皇太子に任命される孫登

 

 

「二宮の変でしょうな。後のは、終わりの始まりに過ぎない」

引用元:はじめての三国志TV

 

孫登

 

後継者、長子であった孫登が早逝してしまったために起きた、二宮の変。後継者問題だけに留まらず、呉の重鎮たちも巻き込み、巻き込まれていった呉の国の大きな爪痕。

 

孫権に煽られて憤死する陸遜

 

これには陸遜も関わっており、彼が孫権に執拗に叱責され憤死する結果となりました。有能な家臣たちを失ったということは、ここから呉の終わりの始まりだった、と言っても良いでしょう。

 

関連記事:陸遜もお手上げエピソード!曁艶事件とは何か?

関連記事:夷陵の戦いの功績があったにも関わらず、どうして晩年の陸遜は憤死に至ったの?

 

陸遜特集

 

 

 

孫皓の皇帝即位

孫晧(孫皓)

 

 

「やはり暴君の即位が一番痛かったでしょう」

引用元:はじめての三国志TV

 

孫皓と張俊

 

呉の暴君と名高い孫皓。彼は皇族、つまり自分以外の一族を何人も処刑し、追放し、国に尽くした家臣たちも処刑していきました。孫皓の恐ろしい所は自分が取り立てた家臣であっても処刑や失脚と言う憂き目にあったという所。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)書類

 

その他にも正史に彼の暴虐の数々が記されています。とは言え全部が全部そうということでもなく、諫言した家臣でも遠ざけられることなくそのまま尽くした家臣もいます。また孫皓に関しては

 

 

「孫晧の即位と言ってる人が多いが孫晧を暴君にしたのは孫和(孫権の次男、孫晧の父)を陥れた人たちの影響。なのでその人たちが呉の滅亡の原因だと思います」

引用元:はじめての三国志TV

 

以下のようなコメントもありました。

 

在位中はとんでもなく暴君なのですが、いざ降伏となった際の彼が諸将に送ったとされる手紙は潔いもので、最後まで晋に抵抗した吾彦は司馬炎に「孫晧が国を滅亡させた原因は?」と聞かれて、

 

「呉主は英邁で、宰相たちは道理に明るかった。滅びたのは人の力ではどうにもならぬ天命です」

 

と答えているので、ただの暴君だけで終わらない所もあったのかもしれませんね。

 

関連記事:孫皓の皇后、滕夫人とはどんな人?暴君孫晧に廃后されなかった理由とは?

関連記事:孫晧の死体損壊癖は本当だった?

 

蜀漢の滅亡

 

 

孫登の死

憤死する麋竺(モブ)

 

 

「孫登が早死していなければ二宮の変は起きていないだろうから、やはり孫登の死だろうか」

 

「孫登の早すぎる死は孫呉の国家としての将来的なプランを根底から覆したとは言えそうですね。二宮の変に代表される孫権の晩年の迷走も「早すぎた有望な後継者の死」が契機になったと考えるならまた違ったものが見えて来るかも知れません」

引用元:はじめての三国志TV

 

二宮の変に巻き込まれて皇太子から格下げされる孫和

 

そもそも二宮の変が起こったのは孫登が亡くなってしまったから。なので孫登の死こそが滅亡のスタート、という意見もあります。とは言え暗殺や毒殺という訳でもなく、天命であり、孫登自身にももちろん責咎はないので……やはり滅びる時は、滅びるものなのかもしれません。

 

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関連記事:孫権の後継者は逸材だった?孫権に意見を述べた孫登

 

二宮の変

 

 

顧雍の死

顧雍(こよう)

 

こちらにはコメントがありませんでしたが、顧雍について少し。顧雍は孫呉の家臣としては驚くほど清廉、真面目で血生臭い所が一切ない、非常に毛色の珍しい家臣です。

 

民衆の意見に耳を傾ける顧雍(こよう)

 

彼は呉の二代目丞相で、民からの意見も求めて公平な人事を行いました。

 

呂壹(呂壱)

 

その公平さが分かるのが呂壱事件で、この事件で顧雍は被害を受けた一人でしたが、呂壱に対してあくまで穏やかに取り調べを行い、呂壱を罵倒した者を咎める様は正に人事の鏡。

 

ポイント解説をするセン様

 

彼が亡くなったのが243年、孫登が亡くなったのが241年。もしもこの後も彼が生きていたなら……もしかしたら陸遜の憤死辺りは防げたのかも、と考えてしまいますね。

 

関連記事:呉にしてはどこまでも穏やかな孫権の尚書令、顧雍の生涯

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佞臣

 

 

その他

宴が生き甲斐 孫権

 

 

「上の4つの事件全部回避したとしても呉は滅ばなかったのか?と言うと疑問なので滅ぶ運命は変わらないと思いました」

「その他、孫権が長生きしたことによる弊害(?)ですかね?」

引用元:はじめての三国志TV

 

嫉妬する孫魯班

 

他には二宮の変を引き起こした要因の一人、孫魯班が原因と考えたコメントもありました。

 

関羽を捕縛する馬忠

 

また関羽を討伐してしまったこと、魏への対抗、様々な要因は考えられますね。どれもこれも、それ一つではさざ波のような影響かもしれません、しかしそのさざ波が段々と大きな波となり、孫呉を飲み込んでしまいました。

 

容貌の美しさから孫権に愛された歩練師

 

こう考えてしまうと「じゃあどうしようもないじゃん……」となってしまいますが、そこは楽しく歴史を楽しくためにも一つ一つの要因を挙げつつ、そしてその上で「これにはどんな対応ができたのか」「乗り切れたらどう変わっていたか」……終わった歴史とは言え前向きに、楽しく歴史を考察していきましょう。

 

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三国志ライター センのつぶやき

三国志ライター セン

 

 

「孫堅が劉表に殺されていなかったら天下を孫堅が取って居ただろうから…ソレ!(遡り過ぎぃ!)」

引用元:はじめての三国志TV

 

三国志を楽しく語るライターセン様

 

そこまで戻らないとダメかー!と笑わせて頂きました。しかしそこはそれ、孫堅が生きていたら?は面白い考察ですよ!

 

北方謙三風ハードボイルドな豪傑(曹操・劉備・孫堅)

 

孫堅はどのように曹操や袁紹、袁術と渡り合ったでしょうか?

蜀との同盟はあったでしょうか?

孫策や孫権はどのように育ったでしょうか?

 

センさんが三国志沼にドボン a

 

どれもこれも考えると楽しい考察です。ぜひ「有り得ない」なんて無しにして、これからも楽しく三国志を考察して見て下さいね!どぼん!

 

呉の絶滅に一番 アンケート

 

引用元:はじめての三国志TV

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

-一億二千万人の三国志