呂壱事件とは何だったのか?呉はその後どんな影響を受けたの?

2021年8月18日


 

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孫権に初代丞相として任命される孫卲(そんしょう)

 

孫権(そんけん)は呉の王として、見事な働きをいくつもしています。しかし人間良いところだらけではありません、失態だってしちゃいます。

 

宴が生き甲斐 孫権

 

孫権の(どでかい)失態はいくつかありますが、その中でも後々まで後を引く事件。

 

呉志(呉書)_書類

 

通称・呂壱(りょいつ)事件に関して、今回は改めておさらいしたいと思います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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呂壱(呂壹)事件のスタート

呂壹(呂壱)

 

それは238年頃のこと、呉の中書省(ちゅうしょしょう)に呂壱という男がいました。この呂壱が何を間違ったのか孫権に気に入られており、それを良いことに好き勝手していたのです。

 

牢獄に入れられる賈逵(かき)

 

呂壱の行動は正に専横と呼ぶべきものであり、冤罪で同僚を失脚させたり、専売により利益を貪るなど、時代劇に出てくる悪代官そのものの行動でした。

 

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if三国志

 

 

中書省とはどんなことをするの?

孫権に書簡を使って報告する呂壹(呂壱)

 

因みにこの呂壱がいた中書省というのは、皇帝と臣下の取次ぎを担当するお役所です。つまり臣下がどれだけ皇帝に呂壱の上奏文を出そうとも、その部署を呂壱が好き勝手にできるという状態なのです。

 

顧雍(こよう)

 

正に考えられるだけの最悪の状況下、必死に呉の名臣たちが動きますが、そもそもとしてこの状況を招いた孫権が呂壱を信頼しているのでどうしようもありません。

 

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潘濬の活躍

陸遜

 

ここで丞相の顧雍(こよう)が動きますが、逆に顧雍が責められ謹慎させられる有様。そしてそれを聞きつけたのが呉の名臣・陸遜(りくそん)、そして夷陵(いりょう)の戦い後に蜀から呉に降った潘濬(はんしゅん)です。二人は相談してどうにか呂壱を取り除こうと考えたのですが、潘濬はこれで呂壱に目を付けられます。

 

潘濬(はんしゅん)

 

しかし潘濬が行動を起こしたことで呂壱は顧雍を解放、顧雍を処刑してもその後釜に潘シュンが据えられることを考え、自分は自宅に引きこもることに。潘濬は自らが殺人犯になったとしても呂壱を取り除こうと決意しましたが、呂壱自身が出てこないのでどうにもなりません。

 

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呉の武将

 

 

歩騭の上奏

功績を上げ続ける潘濬(はんしゅん)

 

潘濬はこれ以降も孫権の呂壱の件を上奏しますが、それが意外な所から後押しされました。荊州西陵(けいしゅうせいりょう)歩騭(ほしつ)です。歩シツは上奏文で呂壱の悪事を訴え、顧雍、陸遜、そして潘シュンが如何に潔白で誠意をもって孫権に仕えているかを訴えました。

 

実は歩シツは以前に軍事強化の件で潘シュンに案を取り上げられなかった一件があったのですが、ここでその歩シツが過去に拘ることなく潘シュンの擁護をするという胸アツ展開なのですね。ようやくここで孫権は目が覚めたのか、呂壱は無事取り除かれたのでした。

 

孫権、大いに反省する

後悔する孫権

 

さて、悪代官・呂壱は取り除かれ、物語ならこれでめでたしめでたしですが、現実はまだまだ続きます。流石にこの一件は孫権も反省し、諸将に反省した手紙を出しました。

諸葛瑾に無茶振りを言う孫権

 

送られたのは潘シュンがこの後にすぐ亡くなっているため跡を継いだ呂岱(りょたい)、歩シツ、陸遜、諸葛瑾(しょかつきん)などに対して。その内容は今回の件での反省、そして「今後も何かあったらどんどん言ってきてね!遠慮とかなしで!(意訳)」という文章だったのですが……。

 

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陸遜特集

 

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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