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小説「三国志演義」などでの王平
小説では王平が蜀に降りたいきさつが大きくアレンジされています。彼は「漢中に詳しい」という事で魏の「徐晃」の下で蜀に攻め込みます。しかし、徐晃の無謀な作戦に抗議し、逆に殺されそうになったため、蜀に降伏した、という事になっています。
また、正史「三国志」には「文字が書けない」と記されていますが、小説ではそのような記述は無く、「横山光輝三国志」では王平が書いた文章が登場したりもします。
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三国志ライターみうらの独り言
王平は真面目な人物でしたから、私事で楊儀を殺そうとする魏延には我慢できなかったのではないでしょうか。おそらく王平と魏延は普段からソリが会わなかったのかもしれませんね。でももし魏延が生き残っていいたら、「王平」と「魏延」がそろった訳で、蜀の軍事面はもっと充実していたかもしれません。
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