魏延も一喝!戦場で生きる武将・王平はどんな人物なの?

2021年11月17日


 



監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



小説「三国志演義」などでの王平

三国志演義_書類

 

小説では王平が蜀に降りたいきさつが大きくアレンジされています。彼は「漢中に詳しい」という事で魏の「徐晃(じょこう)」の下で蜀に攻め込みます。しかし、徐晃の無謀な作戦に抗議し、逆に殺されそうになったため、蜀に降伏した、という事になっています。

 

同年小録(書物・書類)

 

また、正史「三国志」には「文字が書けない」と記されていますが、小説ではそのような記述は無く、「横山光輝(よこやまみつてる)三国志」では王平が書いた文章が登場したりもします。

 

関連記事:馬謖の山登りは王平が原因だった!陳寿が隠した真実?

関連記事:王平とはどんな人?降伏することは恥ではない馬謖の副官

 

はじめての三国志Youtubeチャンネル3

 

 

 

三国志ライターみうらの独り言

みうらひろし(提供)

 

王平は真面目な人物でしたから、私事で楊儀を殺そうとする魏延には我慢できなかったのではないでしょうか。おそらく王平と魏延は普段からソリが会わなかったのかもしれませんね。でももし魏延が生き残っていいたら、「王平」と「魏延」がそろった訳で、蜀の軍事面はもっと充実していたかもしれません。

 

関連記事:3138名に聞きました!義理堅い異民族と言えば?三国志の歴史を彩ってきた民族達

関連記事:諸葛亮の狙いは涼州?北伐における戦略を予想してみた

 

よかミカンのブラック三国志入門

 

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
みうらひろし

みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

-王平
-