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樊城の戦いと曹仁
そして曹仁と言えば、やはり樊城の戦い。この時に樊城は漢水の氾濫で水没、ホウ徳は討ち死、頼みの援軍の于禁もその余波で壊滅。残された兵力は寡兵、四方八方を敵が包囲というもうどうしようもない状況に追い込まれます。
流石に曹仁も心が折れかけますが、ここで満寵がまだ戦えると進言、曹仁もこの意見を支持し、こんな状況下でも樊城を守り続けます。こんな状況でどうして落城していないんだ……とも言える状態にも関わらず、曹仁はこんな状況であっても軍規に乱れは出さず、残された兵士たちを鼓舞して見事関羽から樊城を防衛しました。
そしてこの樊城を攻めあぐねたことが関羽の死に、そして蜀の斜陽に繋がったのはいうまでもありません。
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曹仁の活躍
前半生こそ猛将、としてのイメージが強い曹仁ですが、周瑜、関羽との戦いが防衛線であったことが現在の彼のイメージ付けとなり、寧ろ守将としてのイメージを強くしています。また周瑜との戦い、関羽との戦いでの共通点として、相手の兵力は曹仁より多いことが挙げられます。
しかしそんな状況下でも対周瑜では善戦し、対関羽においては尚も悲惨な状況でありながら粘り強く、辛抱強く戦ってからの勝利を手に入れました。そんなこんなもあって、「傳子」にでは「曹仁の武勇は『あの』張遼をも凌ぐ」とまで絶賛されています。
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それでいて尚
ただ曹仁は最後の戦いとも言える濡須の戦いにおいて、敵将の朱桓に撤退にまで追い込まれてしまいました。しかしこの黒星、個人的に筆者の中で曹仁が好きになる要素の一つとなっています。
曹仁は間違いなく名将であり、歴戦の将軍でもあります。しかし朱桓との戦いのように、負けがなかった訳ではありません。逆に言えば、曹仁は天上人ではなく、人なのです。敗北したからこそ、曹仁は人として見ることができて、ある意味身近で、そして十分に活躍をしている。個人的に最後の敗北があったからこそ、曹仁は更に魅力的になっていると、筆者はそう思いました。
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三国志ライター センのひとりごと
曹仁と張遼に関しては、どっちが強くてどっちが優れていて、という話では最早ないように思えます。両方とも魏のために、比べられないレベルで貢献し、活躍しました。ただ敢えて、張遼だけでなく、曹仁もまたもっと評価されて良い人物。
そう思いつつ、今日も三国志沼からお届けいたしました……どぼん!
参考文献:魏書曹仁伝 呉書周瑜伝 傳子
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