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恵帝と司馬乂
まず八王の乱で思い出して欲しいのが司馬乂です。
彼は権力者となった後も恵帝に対して深い忠義を示していましたが、司馬ギョウ、司馬エイはそんな司馬ガイを糾弾、そこに恵帝を巻き込もうとするも、ここで恵帝が覚醒。
「朕自ら出陣して逆賊たちを誅殺せん」と宣言してギョウ&エイの連合軍ではなく、司馬乂に付く姿勢を見せています。ここまで恵帝の意見というものが見えていない中で、この恵帝の行動は正に覚醒とも言える行動です。
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恵帝とケイ紹
そして時代は下がって司馬越と司馬エイらの戦いの際のこと。この際に司馬越は恵帝を従軍させて戦いに挑むも大敗、この際に付き従っていた侍従たちは恵帝を置いて逃亡するも、ただ一人、ケイ紹という人物だけは我が身を挺して恵帝を庇おうとしました。
この際にも恵帝は「忠臣を殺すな!」と叫ぶも、この命令は無視されてケイ紹は恵帝の目の前で殺され、その血で恵帝の服が汚れるという悲惨な有様に。しかしその後で側近がその服を洗おうとすると「ケイ紹の血だ!ふき取ってはならない!」と叫ぶほど、恵帝はその忠臣の死を深く悲しんだと言われているのです。
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忠臣と……
さて、立場は少し違うものの司馬ガイもケイ紹も、恵帝に深い忠義を捧げました。それこそ己の命をかけてまでの忠義心だったのでしょう。そして彼らの忠義心は、それまで何の意思も感じられない恵帝・司馬衷すら動かしたのです。
もしかしたら恵帝にとって、賈南風も同じような存在ではなかったのでしょうか。嘗て、彼女が回答を偽装してくれたから皇帝となれた司馬衷。賈南風がそこに何を思っていたのかは分かりませんが、司馬衷にとって賈南風は「皇帝となるために力を尽くしてくれた人物」だったのではないか。そう思っていたからこそ、皇后となった賈南風の好き放題にさせていたのではないか。
そんな風に、ちょっとだけ。ほんの少しだけですが、二人の関係を、考えてみた筆者でした。
三国志ライター センのひとりごと
今回は筆者お得意の、ちょっとだけ別視点からの妄想過多にしてみました。こう書いてみると「賈南風を司馬ガイやケイ紹と並べるな!」とお??りを受けそうですね。正直、筆者も賈南風が良い人間であったとはとても思えません。
しかしまあ、こういうのもたまにはね?ということで、三国志沼の中からお伝えしました……ちゃぷん。
参考文献:晋書武帝記 恵帝記 列伝后妃上 列伝第二十九
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