魏の名将、夏侯惇と言えば隻眼の武将というイメージが強いですよね。彼は呂布との戦いの中、その片目を失うことになりました。その際に「父母から頂いた物を捨てる訳には」と食べてしまった……というのはあくまで三国志演義の創作ですが、その後に起こった彼と鏡とのちょっとしたエピソード。
今回はその少しばかりのなぞを考えてみたいと思います。
夏侯惇はどちらかというと
さて夏候惇と言えば曹操が挙兵した際からの股肱の臣。曹操から深い信頼を受けていた人物でもあり、それでありながらも曹操からの特別待遇を断るなど清廉かつ、瀟洒な人物でもありました。
魏での働きも多く、しかし三国志演義での猛将のイメージとは違い、内政にその腕を十分に振るった人物です。どちらかというと武将というよりも文官のような働きが目に付く人ですね。
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猛将のイメージ・夏侯惇
そんな夏侯惇、イメージすると猛将、というイメージが強いのではないでしょうか?
実際に三国志演義のみならず、様々な書籍、ゲームで描かれる夏侯惇像は苛烈な性格をしており、武勇に優れた人物像で描かれています。しかしこれも全く的外れな性格付けということはなく、若い頃に自分の先生を侮辱した相手を殺してしまったというような激しい気性を表すようなエピソードも残っているんですね。
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盲夏候
夏侯惇が左目を失ったのは呂布との戦いの中であり、これは夏候惇の中でも強いコンプレックスとなりました。夏侯惇は同族に夏侯淵がいますが、この夏侯淵と区別するために「盲夏侯」と呼ばれたことがあったと言います。しかし当然ながら夏侯惇はこの呼び方が大嫌いで、自分の姿を見るのも嫌だったのか、鏡を見ると怒って割っていた……というのは有名な話です。
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儒教と肉体の欠損
これは当時の価値観的な話になりますが、三国志演義で夏侯惇が「父母から貰ったものを」と言ってその目を食べてしまったように、この時代における親というものは絶対なものでもありました。
肉体的な欠損はそんな親、ひいては先祖に対する不孝です。宦官が蔑まれるのにもそういった時代の観点があったからでもあります。夏侯惇もさぞかしこの件については悩んでいたことでしょう。と、ここでちょっと考えたいのが「夏侯惇は鏡を見ると怒って割っていた」という所です。
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※原文からの引用
この鏡の一件は正史三国志、夏侯惇伝の注釈、魏略からの引用として載せられているエピソードです。
まずは原文そのままでご紹介しましょう。
魏略曰、時夏侯淵與惇倶為將軍、軍中號惇為盲夏侯。
惇惡之、照鏡恚怒、輒撲鏡于地。
夏侯惇伝 魏略
これはちょっと訳して見ると、どうやら「怒って鏡を投げた」もしくは「怒って鏡を地面に叩きつけた」となっており、割るまでは至ってないのですね。
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