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魏延無念の死をむかえる
この行為に対し、魏延と楊儀は互いに相手が謀反を起こした、と上奏しました。しかし、だれも魏延の肩は持たず、魏延には謀反の疑いがかけられます。
魏延は楊儀を待ち受けていましたが、追ってきた「王平」に「公(諸葛亮)が亡くなられてまだその身も暖かいうちに、お前はなんてすることをするのだ。」と一喝されます。
これを聞いて「魏延に非がある」と感じた兵士たちは逃げてしまい、結局魏延も首を討たれてしまいます。魏延は蜀には忠誠を誓っており、ただ憎き楊儀を殺したかっただけだったのに謀反人扱いされ、無残にも殺されてしまったのです。
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三国志ライターみうらの独り言
魏延は劉備を慕って配下になったくらいですから、蜀に対しての忠誠心があったと思います。ただ、周囲と溶け込む努力をしなかったため、あっさり謀反の疑いを懸けられてしまいました。いくら能力があっても人間関係は大事にしなければいけませんね。
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