「裏切り者」のイメージがある魏延は劉備に深い忠誠心があった?

2022年1月26日


 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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魏延無念の死をむかえる

魏延

 

この行為に対し、魏延と楊儀は互いに相手が謀反を起こした、と上奏しました。しかし、だれも魏延の肩は持たず、魏延には謀反の疑いがかけられます。

 

魏延は楊儀を待ち受けていましたが、追ってきた「王平(おうへい)」に「公(諸葛亮)が亡くなられてまだその身も暖かいうちに、お前はなんてすることをするのだ。」と一喝されます。

 

これを聞いて「魏延に非がある」と感じた兵士たちは逃げてしまい、結局魏延も首を討たれてしまいます。魏延は蜀には忠誠を誓っており、ただ憎き楊儀を殺したかっただけだったのに謀反人扱いされ、無残にも殺されてしまったのです。

 

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三国志ライターみうらの独り言

みうらひろし(提供)

 

魏延は劉備を慕って配下になったくらいですから、蜀に対しての忠誠心があったと思います。ただ、周囲と溶け込む努力をしなかったため、あっさり謀反の疑いを懸けられてしまいました。いくら能力があっても人間関係は大事にしなければいけませんね。

 

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みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

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