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姜宝誼の2人の息子
姜宝誼の2人の息子も史書に名前が登場します。「姜恪」は唐の高宗皇帝の時代に戦功をあげ、左大臣まで昇進しています。ちなみに当時の右大臣が、宮廷画家として多くの皇帝の肖像画を描いた「閻立本」です。もう一人の息子は「姜協」で夏州(現在の陝西省楡林市あたり)の総督を務めていました。彼は篆書が得意だったそうです。
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三国志ライターみうらの独り言
姜維は悲しい最期でしたが、その子孫は立派に唐の要職に就いていたのが驚きですね。しかも姜維と同じく軍事で大活躍したというのもその血がなせる技なのでしょうか。きっと祖先の事を誇りに思っていたことなのでしょう。
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