現代の「汗血馬」ことアハルテケとサラブレッドを比較してみた


 

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汗血馬

 

中国史上に登場する名馬中の名馬と言えば汗血馬(かんけつば)ですね。

 

汗血馬を渇望した前漢の第7代皇帝・武帝

 

汗血馬とは、漢の武帝(ぶてい)大宛(だいえん)を攻めた際に戦利品として手に入れた馬であり、「血のような汗を流し、一日千里を走る」と謳われた名馬です。今回は、そんな汗血馬と、競走馬として現代の「名馬」を数多く輩出するサラブレッドを比較してみました。

 

とはいえ、古代の名馬である汗血馬に関する記述は少なく、比較はできないので、現代において「汗血馬」に近いと言われているアハルテケとサラブレッドを比較してみることにします。ご了承ください。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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現代の「汗血馬」ことアハルテケ

赤兎馬のモデルとなった汗血馬

 

前漢の時代に登場した「汗血馬」については、その記述はわずかです。とはいえ、汗血馬は「三国志」に登場する赤兎馬(せきとば)のように、一頭の馬を指す呼称ではなく、漢の武帝が大宛から3000頭もの汗血馬を連れて帰ったように、いわば馬の品種を指す呼称だったと考えられます。

 

現代の汗血馬ことアハルテケ

 

とはいえ、「汗血馬」がどのような馬であったのか、当時には写真もなければ映像もないので、この記事では現代において「汗血馬」と呼ばれることもある中央アジア産のアハルテケを比較対象とすることにします。中央アジア産の馬であるアハルテケは、その光沢に富んだ体毛が特徴的で、とりわけクリーム色の毛色(河原毛(かわらげ)月毛(つきげ))のアハルテケはまるで馬体が金色に輝いているように見え、非常に神秘的な姿をしていることで知られています。

 

そんなアハルテケですが、寄生虫に吸血されたときに体表に滲んだ血痕が薄い毛色のせいで見えやすく、まるで「血の汗をかいている」かのように見えることがあります。これこそが汗血馬の「血の汗をかく」という伝承と一致しており、アハルテケこそが汗血馬であるとする説もあります。

 

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赤兎馬はカバ

 

 

 

比較その1:体格

砂漠に溶け込むための毛色をしていたアハルテケ

 

アハルテケの体格は体高147〜163cm程度で、体重は400kg前後です。これは、体高160〜170cm、平均体重450〜500kgのサラブレッドに比べるとやや小ぶりな体格ですね。

 

中には、体高170cm以上のアハルテケもいると言われていますが、それを言ってしまえばサラブレッドの中にも体の大きな個体もおり、例えば演歌歌手・北島三郎氏の所有していたキタサンブラック号は体高170cm、体重530kg前後だったと言われています。全体的に見れば、アハルテケはサラブレッドに比べて小ぶりな体型をしていたということがわかりますね。

 

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比較その2:気性

関羽に見惚れる赤兎馬

 

家畜としての馬にとって、人の命令をきちんと聞くかどうかという点で、気性は重要な要素です。アハルテケは中央アジアで育まれた品種であり、家畜化される前の馬の原種に近いだけに、かなり警戒心が強く、気性も野性味が強く荒っぽい傾向があります。

 

とはいえ、落ち着いて育てれば人にも十分なつき、高度な馬術もこなせる利口さも持ち合わせており、ソ連代表としてオリンピックの馬術競技で2度の金メダルに輝いたアブセント号が知られています一方、サラブレッドは馬の中でも特に気性が激しい品種として有名です。

 

サラブレッドはとにかく他の馬よりも速く走ることに特化した品種であるだけに、気性の大人しさよりも脚の速さが優先され、気性の良し悪しは二の次として、脚の速い馬をとにかく配合して育まれてきた品種です。

 

また、激しい気性はむしろ他馬との競争にさらされるサラブレッドにとっては前向きな要素ですらあり、こうした事情もあって激しい気性の遺伝子を持つ血統が残され、サラブレッドは特に気性が荒くなっていったのです。

 

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関羽

 

 

比較その3:脚の速さ

赤兎馬を乗り回す関羽

 

さて、お次は脚の速さです。1マイル(1600m)〜1.5マイル(2400m)の距離を走る速さにかけては、サラブレッドはアハルテケを遥かに凌ぎます。元々、サラブレッドが走る競馬は1マイルから1.5マイルの距離のレースがほとんどであり、サラブレッドもこの程度の距離を最も早く走れるように交配が続けられてきました。

 

競馬場のターフを疾走するサラブレッドの最高速度は時速70kmを超え、人間はもちろんのこと、自動車や鉄道にも匹敵する速度を1〜2分以上も持続することができます。一方、アハルテケは短い距離を駆ける速さではサラブレッドに到底及びませんが、長距離を駆ける持久力には長けています。アハルテケは元々、数十〜数百km単位での移動を繰り返す中央アジアの遊牧民が用いた馬であり、長距離の移動はお手の物です。

 

脚が細く、虚弱な体質が多いサラブレッドにこうした長距離移動は困難でしょう。

 

これについては、アハルテケの驚異的な持久力を示すエピソードがあります。1935年、トルクメニスタンの首都アシガバードから、ソ連の首都モスクワまでの約4000kmをアハルテケに乗った一団が84日間で走破したことになります。

 

単純計算して1日約50km、そしてその途中には灼熱の砂漠が広がっており、容易な道のりではなかったはずです。それでも、そうした長距離を駆けとおせるほど、アハルテケは卓越した強靭な足腰を持っていたのです。

 

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三国志ライター Alst49の独り言

Alst49さん 三国志ライター

 

いかがだったでしょうか。現代の「汗血馬」ことアハルテケとサラブレッド、こうしてみると姿形は似ていても、能力という点では全く特徴が異なる馬だったのですね。

 

アハルテケが約4000km(三国時代でいえば約1万里弱)を駆けとおせるほどの馬であったのですから、「一日千里を駆ける」という汗血馬や赤兎馬の並外れた脚も、もちろん誇張は入っているのでしょうが、あながち全くの嘘でもないのかもしれませんね。

 

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Alst49

大学院で西洋古代史を研究しています。中学1年生で横山光輝『三国志』と塩野七生『ローマ人の物語』に出会ったことが歴史研究の道に進むきっかけとなりました。専門とする地域は洋の東西で異なりますが、古代史のロマンに取りつかれた一人です。 好きな歴史人物: アウグストゥス、張遼 何か一言: ライターとしてまだ駆け出しですが、どうぞ宜しくお願い致します。

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