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足元の守備
また司馬エイは「成都王」と呼ばれるように、その守るべき土地、任じられた土地は成都に在ります。しかしこの頃の司馬エイは中央政権を掌握することにかかりきりで、任地である成都に対してほったらかしの状況が長く続いてしまい、こちらも異民族に陥落させられています。
自分の命令で異民族を集結させて独立された上に、自分の領地を別の異民族に陥落させられたという何とも晋の時代の終焉を加速させるに相応しい「やらかし」を起こした……だからこそ司馬エイは、八王の乱の中でもトップランクでしでかしたことが大きな人物、という印象ですね。
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ブースター
異民族の問題は、既に三国時代からありました。そしてそこから時代が下がった晋の時代、その問題は更に大きくなっていました。打つ手が殆どなくなっていた状態から考えると、司馬エイが何か起こさずともいずれ異民族の蜂起は起こったでしょう。
しかし、司馬エイがこの段階で集結させなければ、それはもっと先だったかもしれません。だからこそこの一手は歴史を変える一手となってしまったのではないか、筆者はそう思います。
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三国志ライター センのひとりごと
晋の時代は、僅か20有余年余りで終焉します。そしてそのきっかけとなったのは八王の乱であり、その中でもブースターとなったのは司馬エイの行動でしょう。とはいえ、この異民族の反乱もまた、いずれは起きたものだと思われます。
もし起きていなければ一体いつ、いかなる時にそれは起こったのか……歴史の妙味を感じつつ、より深い沼にハマり込んでく筆者でした……とぷん。
参考文献:晋書武帝記 恵帝記 列伝后妃上 列伝第二十九
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