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「三国志演義」では他の場面でも「連環の計」が使われる
小説「三国志演義」では「赤壁の戦い」の前にも「連環の計」が使われています。それは「董卓」が権力を握ったころの事。
董卓の暴政を憂いた「王允」は「連環の計」で董卓を陥れることを計画します。先ずは自分の娘「貂蝉」を董卓とその側近「呂布」に近づけ、誘惑させます(美人計)。
そして貂蝉をめぐって董卓と呂布を争わせ、仲たがいさせることに成功します(離間の計)。最期には呂布は董卓を殺してしまいます。
この「美人計」から「離間の計」の一連の計略を「連環の計」と呼んでいます。
連環の計を生み出した「檀道済」とはどんな人物か?
小説「三国志演義」には「空城計(わざと自分の城に招き入れる)」「苦肉計」「美人計」「瞞天過海(油断させ相手を騙すこと)」など「兵法三十六計」からの引用が多く見られます。
この「兵法三十六計」の作者(かもしれない)「檀道済」はどんな人物なのでしょうか。「檀道済」は「宗(420年~479年)」の建国者「劉裕」の下で多くの戦功をあげた将軍です。劉裕が「宗」を建国し亡くなったあと、2代皇帝の後見人となりますが、後に彼を廃し、「文帝」を擁立します。
大きな権力を手に入れた檀道済ですが、文帝に警戒され結局は彼に殺されてしまいます。
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三国志ライターみうらの独り言
「連環の計」は史実では龐統の提案では無かったようですが、創作としてはすごく絵になる作戦ですよね。他の「三十六計」も人生のアドバイスに仕えるものですので、機会があれば学んでみてもいいかもしれませんね。
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