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羊祜との不思議な関係
陸抗は晋との国境を守っていましたが、それに対峙していたのが「羊祜」という武将です。彼は国境付近で善政を敷きました。それは善政によって敵国呉の人民の心をつかみ、戦わずして奪おうとしたのです。
それに対抗して陸抗も善政をしき、部下たちには「向こうが善政を行っているのに、こちらが乱暴を働けばそれは戦わずして負けたようなものだ。」と常々伝えていました。
これによって国境付近は平和が保たれ、羊祜と陸抗は友好的な関係を築くことになったのです。陸抗が病気になったときには羊?が薬を送り、陸抗が羊?に酒を送ったときも羊祜はためらわずに飲んだ、と言います。羊祜も陸抗もお互いの智謀を認めていたのでしょう。
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呉の将来を憂いつつ亡くなる
陸抗が羊祜との関係を築いていた時の呉の皇帝は「孫晧」暴政で呉を衰退させた人物です。陸抗はこれを憂い、国の改革を孫皓に伝えたといいます。
しかし、思いは伝わらず陸抗は西暦274年に亡くなりました。その6年後呉は晋の大軍に攻められ降伏、滅亡してしまいます。
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三国志ライターみうらの独り言
陸抗は呉末期の武将ですので、マイナーですがその智謀は特筆すべきものがありました。しかし、主人の孫晧はカバーしきれないほどの暴君だったのでしょう、陸抗の才能が生かしきれたとは言い切れないのではないでしょうか?
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