敵将も感服した陸抗の智謀とは?

2022年4月12日


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陸抗

 

陸抗(りくこう)」は呉の名将「陸遜(りくそん)」の息子です。父の陸遜は智謀に優れ、多くの戦いで戦功をあげた名称ですが、その息子の陸抗も負けず劣らずの智謀を持っていたとか。その智謀には敵である魏の武将も感服したといいます。

 

今回の記事ではそんな「陸抗」の智謀とその人生についてみてみましょう。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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陸遜の息子として跡を継ぐが、いきなり試練が

孫権に煽られて憤死する陸遜

 

陸抗は陸遜の次男として生まれました。長男は早くに亡くなったため、陸抗20歳の時、陸遜の跡を継ぐことになりました。しかし、陸遜は晩年、孫権(そんけん)の後継者争いに巻き込まれ孫権と対立、失意のうちに亡くなっていて、孫権は陸遜を快く思っていませんでした。

 

陸抗が父の埋葬のために故郷に戻る途中、呉の首都「建業(けんぎょう)」の寄ったのですが、そこで孫権から父の陸遜について20項目もの詰問を受けてしまいます。しかし、陸抗はその詰問すべてに申し開きをし、孫権も納得をしたといいます。こうして陸抗は父の汚名を晴らすことができたのです。

 

のちに孫権は陸抗を重用し、「この前の詰問の書物はすべて焼き捨ててほしい。」と、謝罪したといいます。

 

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陸遜特集

 

 

 

軍事面で功績をあげ、その智謀を認められる

諸葛誕

 

その後は将軍として多くの戦に参戦しました。主に魏との戦で功績をあげ、魏の「諸葛誕(しょかつたん)」が反乱を起こし、呉に援軍を求めた際はその救援に赴き、魏軍を破っています。

 

羅憲を抜けず撤退する陸抗

 

孫権の死後は蜀近くの軍事権を与えられ、蜀軍と対峙することになります。蜀が滅亡すると、援軍を送るふりをして蜀の城を攻めますが、蜀の「羅憲(らけん)」に抵抗され撃退されてしまいます。

 

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蜀漢の滅亡

 

 

まじめな陸抗

軍事面でも才能を発揮する諸葛恪

 

呉の西地区の防衛で功績をあげた陸抗でしたが、その人物はとてもまじめだったといいます。まだ陸抗が若いころ、有能で名前が知られた「諸葛恪
(しょかつかく)
」と任地を交換することになりました。

 

陸抗は他の土地に赴任するにあたり城壁を修理し、城のあちこちを修理し、みだりに畑を荒らしてはならない、と命令を残していきました。諸葛恪が任地についてみると、なんとそこはすべてがきれいに整備されていたのです。

 

諸葛恪は自分を恥じました。なぜなら彼は前の任地を特に何もせず、そのままにして赴任してきたからです。このことから陸抗の生真面目な性格が感じられますね。

 

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西陵の戦いで先を読む

降伏する劉禅

 

蜀が滅んだのち、魏も「晋」に変わったときのことです。西陵(せいりょう)(現在の湖北省(こほくしょう))の司令官が晋に寝返り、そのまま城に籠城したのです。陸抗はそこに駆け付けましたが、城を攻めることはせず、包囲を固めたのです。

 

他の武将は焦り、早く城を攻めるよう進言しましたが、陸抗は「私はかつてこの城を守ったことがあり、とても堅固で食料が豊富なことも承知している。すぐに攻め落とすのは難しいので、まずは晋の援軍に備えることが大事だ。」と、包囲を続けます。

 

三国時代の弓兵(兵士)

 

そこに晋の軍が到来しますが、陸抗の守りは固く、数か月の対峙の末、晋軍は撤退、陸抗は西陵を落とすことに成功したのです。

 

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みうらひろし

みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

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