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妻処刑の危機に郭淮が立ち上がる
251年、皇帝廃立を企んだ王凌が司馬懿によって討伐、王凌は自害しました。彼の一族は三族皆殺しとなりますが、これが郭淮にも影響します。彼の妻である王夫人は、王凌の妹だったのです。
夫人の処刑に郭淮の部下のみならず、民や羌族たちまでが立ち上がって郭淮に兵を挙げるように言いましたが、郭淮はこれに応じませんでした。しかし移送されていく母の姿に郭淮の子供たち五人は床に頭を打ち付け、血を流して母との連座を望みました。
これに覚悟を決めた郭淮は兵を挙げ、妻を取り戻して司馬懿に助命嘆願、叶わないなら自分も妻の後を追うと手紙を書き、司馬懿はこれを許したと言います。
立ち上がった軍勢は一説には数万いたとも言われ、ここで部下たちだけでなく羌族までも立ち上がった所に、郭淮とその奥さんの人望を感じますね。
個人的にこんな風に周囲から慕われる才能がある所が、郭淮の才能であると思います。そういうカリスマ性があったのか、人としての徳が高かったのか……ともあれ、郭淮が良く人心を掴んでいたのは間違いないでしょう。
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賈南風は親戚にあたる郭淮
さてさて、郭淮には郭配という弟がいます。その弟さんの娘、つまり郭淮の姪っ子は賈充に後妻として嫁ぎました。この後妻が郭槐であり、彼女は賈充との間に女の子を授かります。
そう、この女の子が賈南風です。
ええ、郭淮と賈南風には血縁関係があるのです。とはいえだいぶ遠いし、彼女のやったことは郭淮には何も関係ないのですが……歴史って、面白いですね。
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三国志ライター センのひとりごと
郭淮は指揮官としても優秀ですが、何よりその土地を任せる管理者として有能さが段違いです。驚くのがこんな郭淮であっても、当時の魏の武将のトップ……ではなく、まだまだ優秀な人物がいた所。ある種、郭淮は魏の人材の豊富さの一片とも言えるでしょう。
やっぱりこれだけの土地と人を集めた魏って強国だわ、そんな風に再確認した筆者でした。
どぼん。
参考:魏書郭淮伝 王凌伝
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