この記事の目次
父夏候惇の汚点を隠すため必要以上にボンクラに
で、ここでやっとフォローさせて頂きますが、夏侯楙が臆病と言われたのは戦争経験がないことを揶揄ったのではないかと思います。
三国志演義で散々戦死が起こるように、当時として「戦って死ぬこと」はある種の美徳扱いだったではないでしょうか。もうちょっと言うと、彼の実父、夏候惇も軍功は少ないんですよね。しかし夏侯楙と違って人望があり、内政面で良く働きました。
夏侯楙はそういう面がないために、そして父親と比較されるために、余計に悪評ばかり書かれることになったのではないかと思います。
関連記事:夏侯惇の空白の10年を深読み
関連記事:夏侯惇の外見ってどんなイメージ?理想の夏侯惇像をちょっと描いてみる
いじりやすいキャラとして三国志演義で採用
さて繰り返しますが父親に夏候惇、友人に曹丕、奥さんは曹操の娘、愛人を囲い過ぎて不仲、ほとんど記録が残ってない。何より蜀を抑える土地を与った経験あり(直接戦ったことはない)……見れば見るほど三国志演義に採用しやすい人物ですよね。
そういう意味では夏侯楙は三国志演義で扱いやすく、そして三国志演義ではどうしようもない人間のように描かれたことで余計に能力がない、評価をされてしまったのではないかと思います。
もしかしたら今後、夏侯楙の記録がたくさん出てきて再評価されるかもしれませんし……されないかもしれませんが、それでもちょっと不憫な要素が重なったのが夏侯楙という人物なのかなぁと思った次第でした。
関連記事:魏の正史に記録された楽進の功績は無双状態!なぜ『三国志演義』ではこうなった?
三国志ライター センのひとりごと
見直してみると、夏侯楙はやっぱり夏候惇の子供なんですよね。逆を言うと夏侯覇たちは、夏侯淵の息子たちだと思います。
父親たちのように適材適所で活かされなかった不運と取るか、そもそもとして多少優秀程度であっても魏では埋もれてしまう環境が不運というか……少しはフォローできても、見直すまではいかなかった夏侯楙、ちょっと興味深い存在ですね……
ちゃぽん。
参考文献:魏書夏侯淵伝 魏略
関連記事:夏侯嬰(かこうえい)ってどんな人?劉邦を挙兵時代から支えた夏候惇の先祖
関連記事:曹操の盟友「夏侯惇」は曹丕とはどんな関係だったのか?